堯日第二十 508

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原文          作成日 2009年(平成21年)9月
子張問於孔子日、何如斯可以従政矣。子日、尊五美、屏四惡、
斯可以従政矣。子張日、何謂五美。子日、君子惠而不費、勞而不怨、
欲而不貪、泰而不驕、威而不猛。子張費、何謂惠而不費。子日、
因民之所利而利之。斯不亦惠而費乎。擇可労而労之。又誰怨。欲仁而得仁。又焉貪。君子無衆寡、無小大、無敢慢。斯不亦泰而不驕乎。君子正其衣冠、尊其瞻視。儼然人望而畏之。斯不亦威而不猛乎。子張日、何謂四悪。子日、不教而殺。謂之虐。不戒視成。謂之暴。慢令致期。謂之賊。猶之與人也、
出納之吝。謂之有司。

〔読み下し〕
()(ちょう)孔子(こうし)()うて()わく、何如(いか)なれば()(もっ)(まつりごと)(したが)うべき。()(のたま)わく、()()(たっと)()(あく)(しりぞ)くれば、()(もっ)(まつりごと)(したが)うべし。()(ちょう)()わく、(なに)をか()()()う。()(のたま)わく、君子(くんし)(けい)して(つい)やさず、(ろう)して(うら)みず、(ほっ)して(むさぼ)らず、(ゆたか)にして(おご)らず。()にして(たけ)からず。()(ちょう)()わく、(なに)をか(けい)して(ついや)さず()()(のたま)わく、(たみ)()とする(ところ)()りて(これ)()()(また)(けい)して(ついや)さざるにあらずや。()(ろう)すべきを(えら)びて(これ)(ろう)(また)(だれ)をか(うら)みん。(じん)(ほっ)して(じん)()たり又焉(またなに)をか(むさぼ)らん君子(くんし)衆寡(しゅうか)となく小大(しょうだい)となく(あえ)(あなど)ることなし。()(また)(ゆたか)にして(おご)らざるにあらずや。君子(くんし)()衣冠(いかん)(ただ)しくし、()(せん)()(たっと)くす。(げん)(ぜん)として人望(ひとのぞ)みて(これ)(おそ)る。()(また)()にして(たけ)からからざるにあらずや。()(ちょう)()わく、(なに)をか()(あく)()()(のたま)わく、(おし)えずして(ころ)(これ)(ぎゃく)()(いまし)めずして()るを()る。(これ)(ぼう)謂う()(れい)(ゆる)くして()(いた)す。(これ)(ぞく)()(これ)(ひと)しく(ひと)(あた)うるに、出納(すいとう)(やぶさか)なる。(これ)有司(ゆうし)()

〔新論語 通釈〕
子張が孔子に、「どのような人物ならば政治に従事することができましょうか?」と問うた。孔子は、「五つの美徳を尊重し四つの悪徳を斥ける者であれば、政治に従事させることが出来るだろう」と答えた。

子張は、「五つの美徳とはどのようなことを謂うのでしょうか?」と問うた。孔子は、「人の上に立つ者(君子)は、恵み深いが浪費はしない。人民に労働を命じても怨みを買うようなことがない。欲望はあっても足ることを知って貪ることがない。泰然としているが少しも驕った所がない。威厳はあるが猛々しさがない。これが五つの美徳と云うものだ」と答えると、

子張は「恵み深いが浪費しないとは、どういう意味でしょうか」と重ねて問うた。

孔子は、「喩えば、人民が建築や燃料用に樹木を伐採する際には、木を切った跡に必ず植林させるとか、土地を与えることを条件に開墾を奨励するとかすれば、人民にも利となり国家にも利となるではないか。これが恵して費やさずということではないかな。

ついでに云えば、水利の為に灌漑工事を命じたり、水防の為に堤防工事を命じることは、人民の渇水や洪水の不安を取り除くことになるから、皆喜んで働きこそすれ、怨む者などどこにもいないだろう。仁政を施して人民が豊かで幸せになったなら、これ以上何を貪ることなどあろうか。

君子は人口の多寡や国土の大小で相手を見下したり侮ったりはしない。これが泰にして驕らないということではないかな。君子は衣冠を正して誰に対しても誠実な眼差しで臨むから、人民は自然に畏れ敬うようになる。これ亦威にして猛からずということではないかな」と答えた。

子張は更に「四つの悪徳とはどのようなことを云うのでしょうか?」と質問した。孔子は、「ことの善し悪しを教えもせず、悪いことをしたからと云って殺してしまう。これを虐と云う。注意や警告もせず放ったらかしておきながら、いきなり成果を出せ!と迫る。これを暴と云う。命令を曖昧にしておきながら、期限が来た!と厳しく責め立てる。これを賊と云う。どうせ与えねばならぬものを、いざ出す段になると出し渋る。これを有司(木っ端役人)と云う」と答えた。

〔解説〕
これが2500年前の政治家・官僚の九ヶ条ですか‥‥。
現代の政治家・官僚はどうでしょうか?

〔五つの美徳を尊ぶ〕

   第一条 恵して費やさず
      厚生省の「グリーンピア」・郵政省の「かんぽの宿」や「メルパルク」
     
等々、何千億円もの税金を投じて建設したものが、二束三文で叩き
      売られることになった。これ亦「恵無くして費やす」にあらずや。

  
 第二条 労して怨みず
      社会保険庁の年金記録の不手際により、もらえるべき人がもらえないと
      いう状況が何十年間も隠蔽・放置されて来た事実が発覚した。数百万人
      分に及ぶという。これ亦「労して怨みを買う」にあらずや。

   第三条 欲して貪らず
       官僚が特殊法人に天下り、次々と渡り歩く度に法外な報酬と退職金を
       毟り取って行く。これ亦「欲して貪る」にあらずや。
 
   
第四条 泰にして驕らず
       小泉劇場で87%もの内閣支持率を得た自民党が、麻生内閣下の衆院
       選で歴史的敗北を喫して、民主党に政権を明け渡すこととなった。
       これ亦「驕れる者は久しからず」にあらずや。

    
第五条 威にして猛からず
       親の威光・祖父の威光を笠に来て当選を勝ち取ってきた世襲議員が
       次々と落選した。親の築いた地盤・看板・鞄を当てにして生きている
       ような者は、所詮親以下にしかなれない。これ亦「虎の威を借る狐」に
       あらずや。

〔四つの悪徳を斥ける〕
    第六条 教えずして殺す()
      第七条 戒めずして成るを見る()
      第八条 令を慢くして期を致す()
       時代劇の悪代官そのままで、今時こんなことをすれば逆に袋叩きに
       遇ってしまいますが
                       第九条 出納の吝かなる(有司)
        
これだけが現代の役人にちゃんと受け継がれているのは、どういう
         訳でしょうかねえ?自分が稼いだ金でもないのに。


そうかと思えば、年度末間際になると予算消化のため、やってもいない工事代金や、買ってもいない物品代金を業者に預けて、買ったことにして裏金を貯め込む。これ、国民から税金を騙し取ったことにならんのかねえ? 友人に何人か役人がいるけれど、みんないい奴ばかりなんですがねえ‥‥。

武士だって役人だった訳ですが、こちらは「武士道」と云うものがあって尊ばれている。武士は全員論語を学んだ。これは、今の役人にも論語を徹底的に学ばせて、「国士道」(一身を顧みず国及び国民の為に命を投げ出す者の道、つまり、現代君子道)を叩き込むしかないのかな?そうなったら、いつでも協力します、役人の名誉を挽回する為に!元々資質の高い連中が多いから、きちんと教えれば、威風堂々とした君子が輩出するだろう。

このままだと、役人の孫達は「家のお爺ちゃんは役人でした!」と胸を張って云えなくなります。子孫が祖先に対して、誇りを持てなくなるような種を蒔いてはなりません!!現役の役人よ!威風堂々たる君子たれ!我が日本国の国士たれ!!

〔子供論語 意訳〕
()(ちょう)孔子(こうし)(さま)に、「指導者(しどうしゃ)(リーダー)にはどんなことが必要(ひつよう)ですか?」と質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「五つの美点(びてん)()につけ、四つ(よっつ)欠点(けってん)()(のぞ)ことが必要(ひつよう)だ」と(こた)えた()(ちょう)が「五つの美点(びてん)とは(なん)ですか?」と()と、孔子(こうし)(さま)は、

  
一は (ひと)には(めぐ)(ぶか)自分(じぶん)倹約(けんやく)
  
二は つらい仕事(しごと)率先(そっせん)垂範(すいはん)
   三は ()しいものは(ひと)(さき)自分(じぶん)(あと)
   四は 相手(あいて)(うやま)自分(じぶん)謙虚(けんきょ)に。
   五は (ひと)には(やさ)しく自分(じぶん)(きび)しく

これが五つ(いつ)美点(びてん)だよ、とおっしゃった。
()(ちょう)
はさらに「四つの欠点(けってん)とは(なん)ですか?」と質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、

  
一は ちゃんと(おし)もしないで、失敗(しっぱい)したからと()って
           
すぐクビにする。

   二は ()みぬふりをしておきながら、どうなっているんだ!
           と追求(ついきゅう)
          
する。
  
三は ゆっくりやって()いと()っておきながら、まだか!まだか!
           とせかす。
  
四は 気前(きまえ)のいいことを()っていたのに、()(とき)になるとケチケチする。


    これが四つの欠点(けってん)だ、と(こた)えた。

〔親御さんへ〕
美点(美徳)は他者との関係性の中で磨いて行く他はありません。山中に隠れ棲んで磨かれるものではないんですね。これとは逆に、欠点(悪徳)は自ら気付いて克服してゆく他はない、誰も手を貸してくれない、というより、他者は手出しが出来ません。独り静かに己を省みる他はないんですね。

美点のない人はいないし、欠点のない人もいない。美点は自分に付け加えて行くものであるのに対し、欠点は自分から取り除いて行くものです。居るでしょう?これと云った欠点はないのに、今一グッと人を惹きつけるものがない、と云うか、どこか影が薄い人、パッとしない人。かと思えば、インパクトは人一倍強いのに、どこか玉に瑕と云うか、いい加減にしてくれ!と云いたくなる人。

そう!心は正直です、ちゃんと見分けているのに、頭(思考我)が、学歴だの・肩書きだの・名声だの・血筋だのと余計な仕分をして惑わしてくれる。美点も欠点も習慣の産物ですが、美点を付け加えるのと欠点を取り除くのと、どちらが難しいかと云えば、それは勿論欠点を取り除くことの方が三十倍難しい。

何故かと云うと、美点を付け加えて行くことには快感が伴いますが、欠点を取り除くには苦痛が伴うからですね。ベッタリ張り付いていますから。脛毛にガムテープをベッタリと張りつけて、イチニノサンで引っ剥がしてみなさい。物凄く痛いから。欠点を取り除くのは、これの何倍も痛い。

欠点とは、気付かずにやってしまうから欠点なのであって、気付いてわざとやるのは欠点とは云いません、悪戯(わるふざけ)とか悪趣味と云います。自ら気付くというのはとても難しい、他人から指摘されても、本人が心底「そうか!」と思わなければ、所詮は他人事にしか過ぎませんからね。

面と向かって指摘されると、大抵はムカッとして、「何を云ってるんだ!」となるか、「お前に云われる筋合いはない!」となるからね、せっかく教えてもらっているのに。「人の振り見て我が振り直せ!」という言葉を知っている人は多いが、それを実践している人は極めて少ないものです、「自分は違う!」と我を張って。

欠点を取り除く特効薬は今の所ありません。生活習慣病・人生習慣病みたいなものだから。まあ、雑草を抜くように、生えたら抜き生えたら抜きして行くしかないね、根気強く。放ったらかしておくと、草茫々になって手の施しようがなくなってしまいますから。

ただ、間違ってもらいたくないのは、今一パッとしない・影が薄いのを、何か重大な欠点でもあるかのように錯覚して、自己嫌悪に陥ったり自己卑下してしまうことです。そうじゃないんです!これは美点がちょっと足りないだけなのだから、遠慮せずどんどん付け加えて行ったらいい!!

先程も云ったように、美点は他者との関係性の中でしか磨かれないのだから、自分から積極的に働きかけてみる他はありません。自分以外のもののために出来ることなどいくらでもあるでしょう?人のお役に立てることなどどこにでもあるでしょう!?

自己中心で・独り善がりで・頑固で・我を張り続けることは、魂にとって猛毒です。自分の為だけ、我が身可愛さの為だけに生きることはもうやめなさい!そんなことは美点でも美徳でも何でもない!!エゴと云うんです。もっと素直でありなさい!人様のお役に立てるのなら、少々の無理はしてみるもんだ!力の出し惜しみをするな!!(時々ひっぱたいてやりたくなるのがいるよ、君達の中に。余りにもジコチューで!!)
 
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