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原文
〕 作成日 2009年(平成21年)9月
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堯日、咨爾舜、天之暦數在爾躬。允執其中。四海困窮、天禄永終。
舜亦以命禹。
A
日、予小子履、敢用玄牡、敢昭告于皇皇后帝。有罪不敢赦。帝臣不蔽。
簡在帝心。朕躬有罪、無以萬方。萬方有罪、罪在朕躬。
B
周有大賚。善人是富。雖有周親、不如仁人。百姓有過、在予一人。
C
謹權量、審法度、修癈官、四方之政行焉。興滅国、繼絶世、舉逸民、
天下之民歸心焉。所重民、食・喪・祭。寛則得衆、信則民任焉、
敏則有功、公則説。
〔読み下し〕
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堯日わく、咨爾舜、天の暦数爾の躬に在り。允にその中を執れ。四海困窮せば、天禄永く終えん。舜も亦以て禹に命ず。
A
曰わく、予小子履、敢て玄牡を用いて、敢えて昭らかに皇皇たる后帝に告ぐ。罪有らば敢て赦さず。帝臣蔽さず。簡ぶこと帝の心に在り。朕が躬罪有らば、万方を以てすること無かれ。万方罪有らば、罪朕が躬に在らん。
B
周に大いなる賚有り。善人是れ富めり。周親有りと雖も、仁人に如かず。百姓過ち有らば、予一人に在らん。
C
権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を修むれば、四方の政行なわれん。滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民心を帰せん。民に重んずる所は、食・喪・祭。寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民任じ、敏なれば則ち功有り、公なれば則ち説ぶ。
〔新論語
通釈〕
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堯が帝位を禅譲するに当り次のように云った、「ああ舜よ!天命が汝に下ったようだ。帝位に就いたならば、中庸の道を堅く守り通して行け!万一中庸の道を踏み外し、天下万民に困窮を強いるようなことがあれば、天が汝に与えた幸運は永久に途絶えるであろう」と。舜も亦禹に帝位を禅譲するに当り、堯から訓示されたと同じ言葉を以て申し送った。
A
殷の湯王が夏の桀王を討伐した際に、天帝に向かって次のように宣誓した、「ふつつか者の私履(湯王の名)が、ここに黒色の牡牛を捧げ、至高なる天帝(神)に謹んでお誓い申し上げます。罪を犯すものは決して赦しません。天帝の下臣である私は一切隠し立てを致しません。すべては天帝の御心に委ねます。もし私に罪があったなら、どうかその罰を天下万民に下すことのないようお願い申し上げます。万一天下万民に罪があったなら、罰は私一人にお与え下さい」と。
B
周の武王が殷の紂王を討伐した際、天帝に向かって次のように誓った、
「我が周には天から賜った大きな宝物があります。善人が大勢いるとい
うことです。善人が多いと云うことは、親族に勝る宝であります。もし
この人民に過ちがあったなら、それは私一身の責任であります」と。
C
さて荒廃した国を建て直すには、先ず度量衡(グローバルスタンダード)を厳格に定め、法令や制度を明確に示し、廃れた官僚組織(行政システム)を編成し直して、天下に遍く公正な政治が行き渡るようにする。滅ぼされた国を再建して途絶えた家系を復活してやり、隠棲している賢者を探し出して登用すれば、人民は安心して帰順するようになる。人民の一番の関心事は食糧・親の喪・祭祀であるから、これを叶えてやらなければならない。人の上に立つ者の心得としては、一に寛大であること。寛大であれば衆望を得られる。二に信義に厚いこと。信義に厚ければ人民から信任される。三に敏活であること。敏活であれば成果が上がる。四に公平であること。公平であれば不平不満はなくなる。
〔解説〕
本章は誰が述べたものかはっきりしませんが、恐らく孔子が尚書(書経)を基に為政の要道を門人達に話して聞かせた内容を記録したものでしょう。分かり易くする為に四段に分けました。掻い摘んで云えば、
@段は国家の存立根拠と元首の使命
A段とB段は神への誓いと元首の責務
C段は統治システムの整備と行政官のリーダーシップ
が述べられている訳です。つまり、@〜B迄は「如何に在るべきか!」と云う理念・ビジョン則ち、「being・how to be」が、Cに
「如何に為すべきか!」と云う戦略・戦術すなわち、「doing・how to do」が述べられている訳ですね。
国でも企業でも団体組織でも機関でも、先ず問われるのは 「如何に在るべきか!how to be」 なのであって、「如何に為すべきか!how to do」
ではありません。存立の根拠たる理念(理想とする念い)が先ず在って、そしてそれを在らしむる為に「ならば如何に為すべきか?」、その手段・方法が講じられる。このことに関しては、逆は真ならずなのです。
ここは皆さんよく知っておいて欲しいのですが「how to be」を問わなくなった時からその集合体(国でも企業でも)は停滞が始まり、
衰退して行きます。これは一つの例外もなくそうなります。何故かと云うと「how to do」の根拠として「how to be」が存在するのであって、ここが問われないと云うことは、「現状の固定」が暗黙の了解事項になっている訳ですね。
諸行無常・変化常道の世界に在って、現状固定・常住不変のものごとなどあり得ないのに、そのあり得ないことを前提にして存立しているとすれば、その集合体自体あり得ないことになるのは当然でしょう。
この度の衆院選での自民党の歴史的敗北の原因はここですし、最近多い老舗企業の廃業・倒産の原因もここです。「how to be」を問わなくなったのです。当の本人が気付かなかっただけです。常住不変・現状固定の罠にはまってしまったのです。楽ですからねこの方が、目先のことだけ追っかけていれば済むのだから。
如何に在るべきか・「how to be」は目的、如何に為すべきか・
「how to do」はその為の手段ということですね。
さて、諸行無常・変化常道の世にあって、如何に在るべきか?これだけは変えてはならん!と、堯が舜に、舜が禹に「斯く在るべし!!」と申し送った言葉が「允にその中を執れ」(中庸の道を守り通して行け)だった訳ですが、何度も云うように、中庸とはニュートラルなハイブリッド進化論、則ち、人間が大調和をはかりながら無限に進化して行く為の方法論のこと。
合同例会の都度皆さんにお配りしている〔中庸の概念図〕と〔儒教的悟りの階梯〕をもう一度じっくりご覧になって頂きたいのですが、17年前に提示した仁の土台の第五段階「忠恕」・衆生済度救世の仁よりも、もっと深いレベルの仁があるのではないか?中庸の発現レベル第五段階「平天下」よりも、もっと高いレベルの中庸があるのではないか?
この地球が三次元宇宙に閉じ込められた閉鎖型の惑星から、多次元宇宙に開かれた開放型の惑星にシフトアップ(高揚)しアセンション(昇華)して行くに当って、もう一段スケールアップした指標があるのではないか?疑問が湧いて来た方もおられるかも知れません。衆生済度(人々を迷いの世界から救い出し)、救世(世を救う)の仁を超える仁とは何でしょうか?
平天下(天下太平)を超える中庸とは何でしょうか?
実は、中庸のスケールアップした指標については、それが「大調和と無限進化」であることはかなり前から分かっておりまして、皆さんにも度々お話ししてきたつもりですが、仁のスケールアップした指標については、堂々巡りを繰り返すばかりで、これだ!というものが中々見つかりませんでした。
考えても考えても答えが見つからない。焦りみたいなものがあったのでしょうか、お盆過ぎから体が非常にだるくて、とにかくすぐ眠くなる。8月22日の合同例会の頃が体調は最悪だったでしょうか? 夜になると咳が出る。
これは、「自我力に頼ることを止めよ!思考我を剥ぎ取れ!」という警告とともに、強烈な浄化作用が起きているな!?と感じまして、考えることを止め、心を開いて全託の状態で何日かボーッとしておりましたら、ポンと答えが降って来ました、「衆生済度救世の仁」を超える仁とは「造化・創成の仁である!」と。
仁とは形而上の概念ではなくて、実際に造化力・創成力という物理的作用を伴った神のエネルギーが展開する姿、つまり「愛の創造の原理」、これがこれから明かされ、地球人類の学びの中心になって行く、ということですね。
神が愛の想いによりて宇宙のすべてを創られたように、神の種を宿す神の子人間一人一人にも神と同じ力が本来備わっていて、本当は誰でもその造化力・創成力を使って何でも創れる筈なのだが、今までその使い方「愛の創造の原理」を知らされなかった、と云うより、封印されて来た、地球人類があまりにも未熟だったが故に。その封印が解かれて、神の叡知の一端が愈々明かされる時が来た、漸く人間がそこまで進化して来た、ということです。
造化作用として現在私達が知っていることと云えば、「陰と陽二気の合体による造化」くらいものでありまして、これとて言葉として知っているだけで、実体がどんなものであるか誰も知らない。科学の世界(生物学)では、すべては偶然の産物で片付けられている。
まあ、今まで私達が、これは当然だ!これは正しい!と信じて来たことの96%位は、この三次元物質世界特有のものであって、四次元(第四密度)以降、五次元(第五密度)・六次元(第六密度)以上の高次の領域では、通用しないということでしょう。
ですから、今までの価値基準や経験則が役に立たない未知の領域に突入してゆく宇宙船地球号の乗組員である我々人間としては、未知なるものに対する好奇心と探究心があるのかどうか!?未知なるものを学び吸収する意欲と三次元世界で纏ったガラクタを脱ぎ捨てる覚悟があるのかどうか!?が、自らシフトアップしアセンションして行く際の決め手になるのでしょうね。
何だか先日の合同例会の続きのような話しになってしまいましたが、宇宙時代の中庸とは何か?宇宙時代の仁とは何か?を早く皆さんに伝えたくて、こんな話しになりました。本章の内容に沿った解説は、〔親御さんへ〕に譲ることにします。
いいですね!宇宙時代の中庸のキーワードは「大調和と無限進化」、宇宙時代の仁のキーワードは「造化・創成の仁」(愛の創造の原理)ですよ!
与えられたものを守って行くだけじやダメなんだよ!人様のものをパクッたってダメなんだよ!自ら創り出して行くんだよ!無限に進化して行くんだよ!お互いに分かち合い・許し合い・助け合い・生かし合って!!
『大調和とは宇宙の総和であり、無限進化とは創造の連続である』
〔子供論語 意訳〕
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むかしむかし、堯という王様が王の位を舜という家来に譲る時、つぎのように命じた「舜よ、神様のお告げにより、王の位を君に譲ることになった。王様になったら、国民の幸せを第一に考えて政治を行ないなさい。もし国民を困らせたり苦しめたりすることがあれば、天罰が下るぞ!」と。舜が家来の禹に王の位を譲る時も、同じことを命じた。禹は国名を夏と名づけた。
A
時代が下って、禹王の子孫の桀という王様が国民を苦しめ困らせたので、神様は殷の国の湯王を使わして桀王を討ち夏を滅ぼした。湯王は国名を殷と改めた。湯王は天下を平定するにあたり、神様につぎのように誓った、「何のとりえもない私ですが、命がけで国民を幸せにします。人々を困らせる悪人は許しません。私は神様の家来ですから、神様に逆らうようなことは致しません。もし私に罪があったなら、天罰を国民に下すことのないようお願い申しあげます。国民に罪があった時は、罰は私一人に下してください」と。
B
さらに時代が下って、湯王の子孫の紂という王様が国民を苦しめ困らせたので、今度は神様は周の国の武王を使わして紂王を討ち殷を滅ぼした。武王は国名を周と改めた。武王は天下を平定するにあたりつぎのように神様に誓った、「わが周国には神様から授かった大きな宝物があります。それは国民がみな善人であるということです。もしこの国民に間違いがあれば、それは指導者としての私一人の責任でございます」と。
C
さて、武王は乱れた国を立て直すにあたって、まずいい加減であった長さ・容積・重さの単位を厳格にするため度量衡(メートルとリットルとキログラム)を定め、法律を明確にし、複雑になりすぎた官僚機構をシンプルに編成し直して、不公平のない社会を目指した。つぎに滅びた国を再建して難民を帰国させてやり、正直で思いやりのある指導者を抜擢したので、かつて敵であった人々も心から武王を信頼した。武王がもっとも力を入れたのは、
一に 国民が食糧不足で苦しまないようにすること。
二に ちゃんと親の葬式が出せるようにすること。
三に ご先祖の法事を欠かさないようにすることの三つであった。
ここ迄昔の偉大な王様の話しをして来た孔子様は、まとめとして「政治家や官僚は、
一 に寛大であること。寛大であれば国民は安心してついて来る。
二 にウソをつかないこと、約束を守ること。そうすれば国民は信用する。
三 に何ごとも機敏に対応すること。機敏であれば能率が上がる。
四 に公平であること。公平であれば国民の不平不満はなくなる」
とおっしゃった。
〔親御さんへ〕
黄帝(こうてい)〜顓頊(せんぎょく)〜帝嚳(ていこく)〜帝堯(ていぎょう)迄、帝位は世襲されて行きますが、堯の子・丹朱(たんしゅ)が愚か者であった為、孝行者として知られていた市井の舜に白羽の矢を立てて様々に試した上で「宜し!」となり、舜に帝位を禅譲することになった。
その時に堯が述べたとされる言葉が、本章冒頭の「允にその中を執れ」ですが、現存する書経「堯典」にはこの言葉は残っておりません。史記「五帝本紀」にはこの時の様子を次のように伝えております。
『舜に授くる時は則ち天下其の利を得て、丹朱病まん(丹朱が害を被る)。丹朱に授くる時は則ち天下病みて(天下万民が害を被って)丹朱其の利を得ん。堯曰く「終(つい)に天下の病を以てして一人を利せじ」と。而してついに舜に授くるに天下を以てす』と。つまり、如何に可愛い息子とは言え、天下万民の幸せよりも自分自身の利益を優先するような愚か者には、跡目を継がせる訳には行かん!ということですね。
では息子の丹朱はどのような人物であったのかと云うと、「頑凶(我儘で争いごとを好む)」性格であったと云う。頑固で・我儘で・狡くて・争いごとを好む性格の者に、後を継がせてはならん!ということです。これって、誰かに似ていませんか‥‥?
お隣りの金正日に。三代目の金正雲はどうなんでしょうかねえ?
舜の息子の商均(しょうきん)も不肖の息子だったらしく、帝位は禹に禅譲されることになりますが、禹は舜と違い黄帝の血を引く名門の出です。禹は黄河の治水に初めて成功した人物と云われますが、夏を建てて以降帝位は又世襲となります。
禹は近代に生まれ変わっていますよ!誰か分かるかな?
ガンジーと一緒にインド独立運動を指導したネールがその人です。1947年のインド独立後初代首相となり、アジア・アフリカの解放に尽力しましたね。ネールはログ725梵天界の人です。
禹の子孫・暴君桀は湯王に討たれて殷が建ち、湯王の子孫・暴君紂は武王に討たれて周が建つことになりますが、湯王・武王が天地神明に誓った建国宣言は立派ですね。「万方罪有らば、罪朕が躬に在らん!」・「百姓過ち有らば、予一人に在らん!」とは、余程の決意と覚悟がなければ云えませんね。否、決意と覚悟だけでは足りないかも知れない、人民を信じ切る度量がなければ‥‥。
湯王・武王の宣言は、阿弥陀如来が仏となる前の法蔵菩薩であった時に立てたと云われる「四十八願」・四十八の願を成就する迄は仏になるまいと立てた願の第十八願、「仮令我れ仏になるを得ん時、十方の衆生至心(ししん)に信楽(しんぎょう)して我が国に生ぜんと欲して乃至(ないし)十念せんに、もし生ぜずんば正覚(しょうがく)をとらじ・(私があの世に還って仏となる条件として、すべての人間が天国に生まれたいと願って天国に生まれることができなかったならば、私は仏にはならない)」を彷彿とさせますね。すごいね!