子張第十九 505

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〔原文〕
叔孫武叔、毀仲尼。子貢日、無以爲也。仲尼不可毀也。他人之賢者、
丘陵也。猶可踰也。仲尼日月也。無得而踰焉。人雖欲自絶、
其何傷於日月乎。多見其不知量也。

〔読み下し〕
叔孫武叔(しゅくそんぶしゅく)(ちゅう)()(そし)る。()(こう)()わく、(もっ)()すこと()かれ。(ちゅう)()(そし)るべからざるなり。他人(たにん)賢者(けんじゃ)丘陵(きゅうりょう)なり。(なお)()ゆべきなり。(ちゅう)()日月(じつげつ)なり。()()ゆること()し。(ひと)(みずか)()たんと(ほっ)すと(いえど)も、()(なん)日月(じつげつ)(やぶ)らんや。(まさ)()(りょう)()らざるを()るなり。

〔新論語 通釈〕
魯の大夫叔孫武叔が仲尼を貶した。これを聞いた子貢は、「バカなことを云うのはお止めなさい。仲尼先生は我々凡人がとやかく云えるような人ではありません。世間の賢者は、喩えてみれば小高い丘のようなもので、越えようと思えば誰でも越えられますが、先生は太陽や月のような存在ですから、誰もこれを踏み越えられる者はおりません。たとえ自分の方から太陽や月の光りを拒絶しようとしても拒めるものではないし、拒まれたからと云って、太陽や月の存在が損なわれることは少しもない。寧ろ拒んだ方が身の程を知らぬ馬鹿さ加減を自ら表明しているようなものです」と云った。

〔解説〕
子貢は孔子を太陽や月のような存在に喩えている、人間ごときが太陽や月の存在をどうすることも出来ないのと同様、孔子をとやかく云うのは「ごまめの歯軋りに過ぎない!」と。やはり子貢は、孔子を普通の人間とは違う特別な存在・聖なる存在と捉えていたようですね。

身の程を弁えない愚か者のことを「夜郎自大」と申します。出典は、史記「西南夷列伝」にあって、前漢の時代に大国・漢の使者が南方の野蛮国・夜郎を訪れた際、夜郎侯は身の程も弁えず、「漢、我が大なるに執(いず)れぞ?(貴国の漢と我が国とでは、どちらが強大か?)」と愚かな質問をした故事から、「夜郎自大」なる成語がなった。

夜郎自大という言葉を聞いて、ピーンと来た人がおられるのではないでしょうか?「金正日が将にそれだ!」と。夜郎侯と金正日の違いは、夜郎侯は無知ゆえの自大ですが、金正日は自国が世界中で最も貧しく遅れた国であることを百も承知の上での自大、空威張りの自大ですね。

今度三男坊の正雲が後継者に決まったようですが、二千万人民は大人しく従いますかねえ?正雲はスイスに留学していたそうですから、自国民がどれほど惨めな状況に置かれているか、充分分かっている筈ですし‥‥。「売家と唐様で書く三代目」と言うけれど、金日成→金正日→金正雲で丁度三代目だから、途中で投げ出してスイスにでも亡命するんじゃないでしょうかね。長男の正男は利口ですよ、「俺は継ぐ気はない!」と云ってマカオで気楽に暮らしている。

父の正日は、自国と共産主義下のソ連でしか生活したことがありませんから、人民が自由を謳歌・満喫している姿に直に触れた経験がありません。統制の下、人民を虐げるのは当たり前くらいにしか思っていない。しかし、正雲はスイスで自由を満喫して育った。思いの自由と選択の自由が保証されている社会とはどういうものなのかを、肌で知っている。できますかねえ?そんな人間が今の北朝鮮の国家体制を維持・継承して行くことなんて‥‥、二律背反に陥って、気が狂ってしまうんじゃないかなあ?あれだけ腹黒く面の皮の厚い金正日でさえ、心神耗弱で倒れてしまった。

北朝鮮の正式国名は「朝鮮民主主義人民共和国」という長ったらしい名称ですが、実態は金王朝の専制君主国家で、共和国ではない。国家元首の心は葛藤しますよ、国名そのものからして詐称、名と実が矛盾しているんですからね。

金正日は頭のいい男だから、本当はこの葛藤で免疫力を擦り減らして倒れたんじゃないでしょうか?建国当初から抱える自己矛盾に、内心悶々としていたのではないでしょうか?脳卒中だけではなく、すい臓ガンも患っていて、余命は最大でも五年と診断されたんでしょ?特別に招かれたフランスの医師に。

核実験もミサイル発射実験も、人民の目を外に向けさせ、国家樹立の時から抱える自己矛盾に気づかせないようにするための目眩ましでしょう。六ヶ国協議を優位に進める為の示威・挑発行為とされているけれども、確かにそれもあるでしょうが、本当の所は、意図的に戦時下を創り出して軍事統制を強化しなければ、もう人民は黙っていない段階に来ているのではないでしょうか。

「先軍政治(軍事優先)」なる国家スローガンはその表れでしょう。いくらなんでも、祖父母→父母→子三代に渡って騙され続けるほどバカじゃないでしょう、人民だって。平時下で「将軍様に忠誠を誓え!」と云っても、もう無理な状態になっているのだと思います。かといってルーマニアのチャウシェスクのようにはなりたくないし、ソマリアのようにもなりたくはない。本気で戦争しようにも、自力では、継戦能力もなければ一撃で敵を殲滅するだけの火力もない。

しかし、何もしなければ益々立場は危うくなる。国家元首の立場を保つには、人民に対する大義名分が要る。朝鮮戦争以来、北朝鮮の敵は一貫してアメリカ(日本ではない)ですから、打倒アメリカが北朝鮮の国是。朝鮮戦争は終結した訳ではなく、一時停戦状態、つまり、国際法上はまだ戦争継続中です。(講和は結ばれていない)

宿敵アメリカと対等に渡り合うには、核爆弾とそれをアメリカまで飛ばす為のICBMが要る。二つとも完成したとなると国家元首としての名分は一応立つ訳です、国内的には。それでやっているんですね、核実験とミサイル実験を、大金をつぎ込んで。

核はもう攻撃力にも抑止力にもならないというのに。そもそも、核兵器は使おうにももう使えないんです!この銀河では!!ですから、核を恐れる必要などないんです。何故使えないのか?は、ここでは書けません。口頭で伝えます。

アメリカもロシアも中国もイギリスもフランスも、国家の中枢にいる人達は皆知っています。黙っているだけなんです、何千億も何兆円も血税を投じて開発してきたものが、今更「無用の長物になりました!」とは云えませんもの、特に自分の政権下では。抑止力として日本も核武装すべきだ!と主張する人がいるけれども、税金をどぶに捨てることになります、無用の長物ですから。

くり返します!この銀河ではもう核兵器は使えません!!安心して宜しい。核の恐怖を拭い去った上で、今一度この星のパラダイムを捉え直して御覧なさい。そこに、分かち合い・許しあい・助け合う大調和の新世界が見えて来る。広島・長崎の原爆投下以降、「核の恐怖」を前提にして組み立てられて来た国際社会のパラダイムは、終わったのです。

いいですか!恐怖を前提に組み立てられている価値基準、恐怖を煽る宗教や思想、恐怖を利用して成り立っているシステムやビジネス、恐怖を創り出している組織や国家、これらはもうこの星から消えて行きます。

恐怖の原因は何か!分かりますか?恐怖の原因は無明(真理無知)です、無明から来る幻想です。「人間存在の実相と宇宙の真相」を知らないから、肉体死を怖れ、人を怖れ、外物を怖れ、分離孤立を怖れるんですね。「恐怖」と言う言葉など元々神の辞書にはありません、人間が勝手に作り出したものです。恐怖を植え付けて他者を隷属させる為に。

だからイエスは言ったのです、「真理は汝らに自由を得さすべし(真理があなた方を自由にするであろう、すなわち、この世の価値基準への隷属から自らを解き放つ)」と。(ヨハネによる福音書第八章) 釈迦は一層厳しい口調で言いました、「人として無明ほど罪深いことはないのだ!」と。

目覚めて知りなさい!人間存在の実相と宇宙の真相を!!もう皆さんは耳にタコができるほど聞かされて来た筈です。今世これを知る為に当会に入って来たのです!無知から来る恐怖を清算する為に、恐怖の桎梏から己を解き放って、本来の自由人となる為に。無知の正体を教えてあげましょうか?『無知とは、単なる不注意や怠惰から来るものではなく、本当のこと(実相・真理)を知りたくないとする、断固たる意志の下で為される主体的行為である』と。

ですから、真理に対して無知であることは誰のせいでもない、あなた自身の自己責任なんですね。これまでの人生で、知るチャンスはいくらでもあった筈なのに、「そんなバカなことがあるものか!?」と一笑に付して知ろうとしなかったあなたの責任なんです。こと真理に関しては、「知りませんでした!」と云う表現は正しくありません、「知ろうとしませんでした!」と云うのが正しい。

同様に、「分かりませんでした!」と云う表現も正しくない、「分かろうとしませんでした!」と云うのが正しい。何故ならば、「知りたくない!」・「分かりたくない!」とする断固たる意志の下に為されたあなた自身の主体的行為なのだから。真理に関しては、高等数学や理論物理学と違って、知ろうと思えば万人が知ることができるし、分かろうと思えば万人が分かるようになっているんです、初めから。太初からそのように造られているんです、人間の魂は。

何でお前如きにそんなことが分かるのか?ですって?知ろう!分かろう!として来たからですよ、真理を!!「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見い出さん。門を叩け、さらば開かれん。すべて求むる者は得、尋ぬる者は見い出し、門を叩くものは開かるるなり」(マタイ第七章)なんです。とてもシンプルなことなんですよ。

〔子供論語 意訳〕
()(くに)大臣叔孫武叔(だいじんしゅくそんぶしゅく)孔子(こうし)(さま)悪口(わるくち)()った。これを()いた()(こう)は、「おやめなさい!孔子(こうし)(さま)我々(われわれ)のような凡人(ぼんじん)がとやかく()えるような相手(あいて)ではありません。(いま)指導者(しどうしゃ)のレベルは、たとえてみれば()(だか)(おか)ようなもので、(だれ)でも()()えて()けるけれども、孔子(こうし)(さま)太陽(たいよう)(つき)のようにはるかかなたの存在(そんざい)ですから、(だれ)もこれを()()えることはできません。太陽(たいよう)(つき)()かってあっちへ()け!こっちに()るな!と()った(ところ)でどうにもならないのに、マジであっちへ()け!こっちに()るな!とやっているようなものです。これってオバカサンでしょう?」と()った。

〔親御さんへ〕
人の悪口をいうことを謗るとか貶すと云いますが、謗り方にも「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式の感情剥き出しの謗り方と、「斯く斯く然然」式の知性的な謗り方と、「坊主憎けりゃ斯く斯く然然」式の感情と知性混合型の謗り方があるようですね。

ダサイ(野暮ったい)・ウザイ(気味が悪い)などと云う現代語は一体どれに当てはまりますかねえ?因みに「ウザイ」とは「うざったい」の簡略形で、元々八王子を中心とする多摩地区の方言(煩わしくてうっとうしい)が、昭和40年代後半から若者言葉として「気味が悪い」の意に使われるようになったとか。

「ダサイとウザイはどう違うんだ?」と倅に聞きましたら、「そうだなあ、親父たちの年なら、背広を着てズボンがつんつるてん、ネクタイの長さがベルトのバックルの上止まり、綿の白い靴下を履いているオッサンがダサイの類。その恰好でブランド物をつけているのがウザイの類。これに、はっきりと分かるカツラを被っていたら、もう完全にウザイな!」と云っておりましたので、「ああ、それなら俺にも分かる。他にはないか?」と問いますと、「あとはアレ!加齢臭だよ加齢臭!!風呂は毎日入ったほうがいいよ!親父時々匂うから!!」とのことでした。

匂いには人一倍敏感な方だと思っていたのですが、自分の匂いは分からんもんですなあ?男のくせに香水つけている奴などヤサオトコと思っておりましたが、周りに嫌な思いをさせるくらいなら、つけた方がいいのかな?何か私に向くような香水があったら、教えて下さい。

加齢臭で思い出しましたが、この前の二次会で「華華」に行った際、ママが隣に座ったら加齢臭がするものですから、「お前、ファブリーズぶっかけて来いよ!」と云ったら、「何で?」と云う。「バアサン臭いんだよ!」と答えますと、「アーラ、大造さんだって近頃ジイサン臭いわよ!昔はいい男だったのにね!?」と逆襲されてしまいました。

人の匂いは分かるけど、自分の匂いには中々気がつかないものなんですね。「匂い」には微妙な意味合いがあるからなあ、「かおり」の他に「はなやかさ」・「ひかり」・「趣き」・「気品」・「雰囲気」等々。匂いにはよくよく気をつけねばならんね。やっぱり香水つけた方が良いかねえ?ファブリーズじゃ気持が悪いし‥‥。(解説でちょっとマシなことを云ったかと思ったら、一転してバカ話しになってしまいました。緊張が続かないのはジイサンになった証拠かな???)
 

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