〔原文〕
齊人歸女楽。季桓子受之、三日不朝。孔子行。
〔読み下し〕
斉人女楽を帰る。季桓子之を受け、三日朝せず。孔子行る。
〔新論語 通釈〕
孔子が大司寇になってから、魯の国はよく治まり国力が増した。魯が強大になることを恐れた隣国の斉は、首脳部を撹乱して揺さぶりをかける為に、美女八十人からなる歌舞団を贈ってよこした。策略を見抜けなかった筆頭家老の季桓子は喜んでこれを受け入れてしまい、定公と共に連日宴に耽った。美女の妖麗な舞にすっかり魅了された二人は、三日間朝政を怠った。孔子はこれに失望して職を辞し魯を去った。
〔解説〕
話しを分かり易くする為にかなり文言を補いました。この策略を練ったのは斉の大夫黎徂(れいしょ)という人物ですが、斉国の美女の中から選りすぐりの八十人を歌舞団に仕立て、妖麗な舞楽を舞わせてきらびやかに飾り立てた四頭立ての馬車三十駟を贈った。純朴で垢抜けない農業国家魯の首脳にカルチャーショックを与えて、骨抜きにしてやれ!という魂胆だったのでしょう。
定公も季桓子もまんまと嵌められてしまったようです。このすぐ後で郊祭(こうさい)という天の神様を祭る国家行事があり、祭壇に供えた祭肉を大夫達に下賜するのが歴代魯公の慣わしとなっていたにもかかわらず、定公はそれも怠ってしまった。この時「先生、この国を去りましょう!」と勧めたのは子路ですが、孔子の失脚を狙っていた有力者がいたようです。孔子55才頃の出来事で、魯を去った孔子はこの後14年間に及ぶ亡命生活を送ることとなる。
〔子供論語 意訳〕
孔子様が55才ころの話し。魯の国は孔子様が総理大臣になってから、国内はよく治まり国力が増してきた。魯国が大国になることを好まない隣の斉の国は、魯国の殿様にカルチャーショックを与えてデレデレにしてやれ!とたくらんで、美女軍団80人を金ぴかの馬車に乗せてプレゼントした。孔子様は「受け取ってはいけません!」と忠告したが、殿様と大臣達は美女軍団に首ったけとなり、三日間国会をサボってしまった。その後も殿様や大臣達は仕事が手につかず、国家行事の郊祭の祭りにも上の空で参加した。ガッカリした孔子様は辞職し、弟子を連れて旅に出た。
〔親御さんへ〕
数年前、韓国の釜山で開かれたアジア大会に、北朝鮮の金正日が300人の美女軍団を送り込んだことがありました。あれは論語のこの章の故事からとって、「韓国の野郎どもをデレデレにしてやれ!」と企んだものですが、思惑通り韓国の男どもは大会期間中デレデレしまくった。
日本では考えられないことですが、韓国の若い女性の70%以上は顔の整形手術やっているそうで、人造美人に飽き足りなくなった韓国の男性が、無整形の天然美人に魅かれて殺到したって所でしょうかね?金正日の思惑がズバリと的中した訳ですが、側近の中にこの故事を知っている人物がいたのでしょう。北朝鮮に論語や史記を読んでいる参謀がいるなんて、これは侮れませんよ!! 必ず「孫子の兵法」や「兵法三十六計」も読んでいますから。悪知恵にかけては世界屈指の金正日、話せば分かる!などと能天気なことを云っているようでは、必ず裏をかかれてしまいます。用心しなければならんのです、あの国は。
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