〔原文〕
子日、唯女子與小人爲難養也。近之則不孫、遠之則怨。
〔読み下し〕
子日わく、唯女子と小人とは養い難しと為す。之を近づくれば則ち不孫なり、之を遠ざくれば則ち怨む。
〔新論語 通釈〕
孔子云う、「気まぐれ女と下種(げす)な男は何とも扱い難いものだ。近づければ図に乗るし、遠ざければ拗(す)ねる」と。
〔解説〕
知らぬ人はいないほど有名な言葉ですが、その出典がここ。どういう場面で発した言葉かは分かりませんが、大聖孔子でさえ扱いあぐねていたくらいですから、我々凡人が手を焼くのも無理からぬことかも知れませんね、こういう人は。
気まぐれ女と下種な男というのは、恐らく使用人のことではないかと思いますが、奴隷であろう?とする説もあれば、ここで云う女子とは妻の幵官氏のことで、使用人と駆け落ちした時のことを云っているのではないか?とする説もある。
そう云えば、釈迦はアショーダラという夫人を捨てて出家していますし、ソクラテスにはクサンチッペという悪妻がいたといいますし、イエスは結婚をしていませんから、大聖人と云われる人達は、案外女運に恵まれていなかったのかも知れません。
だからと云って、女運に恵まれていない人が皆聖人か?といえばそうとも限らない、S君の例もありますから。成人ではありますが。親鸞なんかは女運に恵まれ過ぎても立派な聖人になっていますしね。難しいもんですなあ、ここいら辺は。
〔子供論語 意訳〕
孔子様がおっしゃった、「お天気屋の女子とヒネクレた男子は使いにくいねえ! ちょっと優しくすれば調子に乗ってつけ上がるし、ちょっと厳しくすればすねて反抗する」と。
〔親御さんへ〕
お天気屋もヒネクレ者も、自分にはその自覚がありませんから、お天気屋に「もっと心を平らかに!」とか、ヒネクレ者に「もっと素直に!」などと云った所で殆ど効き目はありません。正攻法ではダメなんですね、こういう人達には。
何が一番効くかと言うと逆療法、つまり、もっとたちの悪いお天気屋・ヒネクレ者に引き合わせてやることなんです。上には上があるし、下には下がある。本人より二倍も三倍もたちの悪い人間など、世の中にはいくらでもいます。前にも云いましたが、人は自分に似た人間を見ると本能的に嫌う習性を持っている、自分の嫌な面を目の前で演じてくれている訳ですから。
真っ当な人なら、人の振り見て我が振り直せ!で、「自分にもこういう所がないだろうか?」と反省するものですが、曲がった人はそうではない、「この人は自分とは違う!」と勝手に自己合理化してしまうものなんです。これが曲がった人の特徴、つまり、自己合理化の名人なんですね。
自分に都合の良いように自己合理化されては困りますから、すかさず一言「そう云えばうちにもこういう人いるねえ!?」と。そこで相棒が「本当だ!○○君にそっくりだ!!」と相槌を打つ、本人に聞こえるようなヒソヒソ声で。これ、一見意地悪なようだけど、かなりの配慮なんですよ、こうでもしなければ気がつきませんから。それでも効き目がない場合はどうなのか?孔子は次章で述べています。
|