陽貨第十七 468

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〔原文〕
子貢問日、君子亦有惡乎。子日、有惡。惡稱人之惡者。惡居下流訕上者。
惡勇而無禮者。惡果敢而塞者。日、賜也亦有惡乎。惡徼以爲知者。
惡不孫以爲勇者。惡訐以爲直者。

〔読み下し〕
()(こう)()うて()わく、君子(くんし)(また)(にく)むこと()る や。()(のたま)わく、(にく)むこと()り。(ひと)(あく)(しょう)する(もの)(にく)む。()()()(かみ)(そし)(もの)(にく)む。(ゆう)にして(れい)()(もの)(にく)む。果敢(かかん)にして(ふさ)がる(もの)(にく)む。(のたま)わく、()(また)(にく)むこと()るか。(かす)めて(もっ)()()(もの)(にく)む。不孫(ふそん)にして(もっ)(ゆう)()(もの)(にく)む。(あば)きて(もっ)(ちょく)()(もの)(にく)む。

〔新論語 通釈〕
子貢が、「先生程の方でも人を悪(にく)むことがありますか?」と問うた。
孔子は、「そりゃああるさ、

  第一に、人の悪口を言いふらす者を悪む。
  第二に、低い地位に居りながら上司を誹謗する者を悪む。
  第三に、礼節を欠いて蛮勇を奮う者を悪む。
  第四に、決断力・実行力はあるが道理の通らぬ者を悪む」と答え、

「賜や、お前も人を悪むことがあるか?」と問い返した。
子貢は、「はいあります。

  一に、人のアイデアを掠め取って知者面する者を悪みます。
  二に、傲慢不遜を以て勇者面する者を悪みます。
  三に、人の秘密を暴き立てて正直者面する者を悪みます」と答えた。

〔解説〕
2500年前にもこういう人がいたんですか‥‥。 今も変わっていないですね、人間のこういう悪癖は。孔子と子貢の見解を総合すると、「悪むべき七タイプの人間像」が浮き彫りにされるのではないでしょうか。

   一、人の悪口を言いふらす者
   二、自分の上役を誹る者
   三、節操の無い無鉄砲野郎
   四、道理の通じぬ一刻者
   五、人のアイデアをパクッて利口者面する者
   六、傲慢不遜を以て勇者面する者
   七、他人の秘密を暴き立てて正直者面する者

何だかテレビのワイドショーや週刊誌の報道姿勢は、上記の七項目すべてが当てはまるようですが、やっている当人は分かっているのでしょうかねえ? 仕事だからしょうがない?と思っているのかも知れませんが、この世は作用反作用の法則で成り立っていますから、自分のやったことは必ず自分に撥ね返って来るこになります。自分の蒔いた種は自分で刈り取らなければならないようになっているんです。喩えば、

一、人の悪口を云えば、何倍にも増幅されて自分が中傷されることになる。
二、上役を誹れば、自分が上に立った時に、何倍にも増幅されて部下から
  誹(そし)られるようになる。

三、節操無く無鉄砲なことをすれば、何倍にも増幅されて理不尽なことを
    
されるようになる。
四、道理の通らぬ強情を張れば、何倍にも増幅されて手のつけられない
     
頑固者に悩まされることとなる。
五、人のアイデアをパクッて利口者面すれば、本物が現れた途端影が
     
霞んでしまい、赤っ恥をかかされることとなる。
六、傲慢不遜に勇者面すれば、ヨイショされて二階に挙げられた途端
    
梯子を外されてしまい、落ちた所を「水に落ちた犬は叩け!」と
     ばかりに寄ってたかって袋叩きにされてしまう。
     (
ボクシングの亀田親子のように)
七、人の秘密を暴き立てて正直者面すれば、自分の秘密を暴かれた途端
      偽善者のレッテルを貼られてしまい、全くに世間の信用を失って
      しまう。


これらはどれも自業自得、善い種を蒔けば良い実がなり、悪い種を蒔けば悪い実がなる。良い実も悪い実も自分が蒔いた種は自分で刈り取らなければなりません。善いことも悪いことも、すべて巡り巡って自分の元に返ってくることになっているんです。ごまかすことはできません。

〔子供論語 意訳〕
弟子(でし)()(こう)が、「先生(せんせい)ほどの(ひと)でも(きら)いなタイプの(ひと)っていますでしょうか?
」と質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「そりゃあいるよ。

一は(ひと)悪口(わるくち)(いい)いふらす(ひと)
二は(ひと)意見(いけん)批判(ひはん)するばかりで()わりの(あん)()さぬ(ひと)
三はあとさきを(かんが)えずその()気分(きぶん)行動(こうどう)する(ひと)
四は(ひと)意見(いけん)(みみ)(かたむ)けず強情(ごうじょう)()(ひと)
これらはいやだねえ!(きみ)はどうかね?」とおっしゃった。

()(こう)
は、「(ひと)のアイデアをパクッて自分(じぶん)のアイデアのように自慢(じまん)する(ひと)うぬぼれて(なま)意気(いき)になっている(ひと)。 (ひと)秘密(ひみつ)をバラして得意(とくい)になっている(ひと)(わたくし)はこういうタイプが嫌い(きらい)です」といった。

〔親御さんへ〕
2008年度のノーベル物理学賞に南部陽一郎・益川敏英・小林誠の三氏、化学賞に下村脩氏の計四名の日本人が選ばれました。下村氏は記者会見で、「難しい研究課題を避けたがる傾向、特に男子が情けない。もし興味ある課題を見つけることが出来たら、困難に直面しても諦めず、その目標に向かって突き進み、最後迄やり遂げて欲しい」と語り、記者の「若い世代に何か他にメッセージはありますか」との質問に、「先生から習ったからじゃダメ! 先生から習おうという考えが間違っている。先生から教わった先入観に縛られたらダメ!先入観がないというアマチュアの姿勢が大事!!」と語っておられました。下村先生のこの言葉にはハッとさせられます。

これは学問研究の道のみならず、人生そのものを語っておられるからです。考えてみれば、人の一生はすべてオリジナル、65億人居れば65億通りのシナリオがあって、二つとして同じものはない。なのに、他人が考えた先入観念や固定観念に縛られて、どうして他人の人生を生きようとするのか!? 自分にしか咲かせられない一輪の花を精一杯咲かせたら良いのに、何で他人の花を咲かせようとするのか!?

近頃は、商売でも議員の海外視察レポートでも、他人の結果をそっくりパクルことが流行っているようだけれども、商売も海外視察も人生の大切な一コマでしょう? それを、人様の商品をパクッてどうするの!人様のレポートをパクッてどうするの!! 昔は手形の「パクリ屋」ってのがいて、立派な詐欺罪になった。

人様の結果をそっくりパクルなどと云うのは、「人生詐欺」みたいなものでしょう。パクルくらいなら、人にパクられるような商売をやってみなさい!人にパクられるようなレポートを書いてみなさい!人にパクられるような人生を生きてみなさい!! 人生は、自分が主役を演ずるドラマなんだから。
 

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