〔原文〕
子曰、君子求諸己。小人求諸人。
〔読み下し〕
子日わく、君子は諸を己に求む。小人は諸を人に求む。
〔通釈〕
孔子云う、「君子たる者は、何事も自分の責任として受け止めるが、下らない人物は、何事も他人のせいにする」と。
〔解説〕
「すみません!」と一言謝れば済むものを、「でも〜」・「だって〜」と弁解して、却って相手を怒らせてしまう。子供の頃こう云うと、決まって祖母に「デモもストライキもない!」、「だってもあさってもない!」と叱られたものです。
伊勢の赤福は一体どうなってしまったのでしょうか?1707年の創業と云いますから、今年で創業300年になる。20年程前に赤福本店に行った際、土産に赤福餅を買おうと思ったら、「どちら迄ですか?」と店員が聞くものですから、「新潟です」と答えたところ、「明日のお召し上がりですと、お売りできません!」と断られ、腹が立つどころか、そこ迄品質にこだわっているのか!?と感心した覚えがあります。
濱田社長は、「当社は勿体無いという伝統精神があるので、売れ残り品を再凍結して売った」と弁解していたけれども、本当に勿体無いのなら、何で売れ残る程製造するんだ!店に並べるんだ!!となるのが当然でしょう?必要以上に造るから売れ残るんであって、確実に売れる分だけ造ったら好いじゃないの!?
閉店前に売り切れたら、「売り切れご免!」で好いじゃないの!?機会損失(売り逃しロス)などと云う売手本位の経営用語を振り回して、必要以上に製造した会社は皆オカシクなったじゃないですか、不二家も白い恋人も。人口が減っているのに、もっともっと欲張ったって、青天井で売れる訳がないでしょう。
当会ホームページ愛読者の中に、商売をやっている方もおられると思うので、はっきり申し上げておきますが、売り逃しに損失など発生しないんです、儲け損なっただけで。損失が発生するのは、売れ残って捨てた時!原材料費のみならず、人件費も水道光熱費も減価償却費も包材費ももろともに。
それを、捨てるのは勿体無いと賞味期限を改竄してまで売ったりすれば、忽ち内部告発されて、会社は潰れてしまいます。これ以上大きな損失はないでしょう?顧客本位の利他的合理化は大いにやるべし!売手本位の利己的合理化はやってはいけない!ごまかしはやってはいけない!!いずれにしても、企業体としての不祥事はトップに全責任があるのだから、潔く受け止めて言い逃れしない方がいいね。
天照大神のお膝元でしょ?赤福は。神様泣いているよ、きっと。「赤心慶福」(赤心とは嘘偽りのない心、慶福とは幸福を喜ぶの意)からとったそうじゃないの、店名を。名が泣くとはこのことですな、広辞苑にも載っている程の老舗なのに。
〔子供論語 意訳〕
孔子様がおっしゃった、「君達は出た結果について、たとえそれが自分の意に反するものであったとして、すべて自己の責任として受け止めなさい!逃げまわったり人のせいにしてはいけません!!」と。
〔親御さんへ〕
原因−結果の法則は、誰も晦ますことができません。こんな筈ではなかったのに?と思っても、必ずどこかでその結果を招来するような種を蒔いている。どう考えても思い当たる節がない?不思議としか云いようがない?という場合は、前世で蒔いた種(因)を今世刈り取りさせられていることが結構あります。これを仏教では業(カルマ)と云って、親子・夫婦のような最も身近な人間関係の中で清算するシナリオを選んで出て来る場合が多い。そうですねえ?前世仇同士で憎み合っていた者が、今世親子として出ているケースは結構あります。なぜか分からないが、生まれた時からこの子が憎かった!物心つく前から親が嫌いだった!などというのは大体これですね。刈り取りし易いように、敢て身近な関係を選んでカルマの修正を行う訳です。これは早く気付いた方がいい。
気付かずに放っておくと、最悪の場合、親の子殺し・子の親殺しに迄発展しかねない。これが今自殺の次に大きな社会問題になっておりますが、気付けばここ迄はやらなくなります。尊属殺人が死刑か無期と規定されていたのは、気付かない人にとってそれなりに歯止めの意味があったのですが、1995年に刑法が改正されて、一般の殺人と同列に扱われるようになった。これ以降です、親の子殺し・子の親殺しが急激に増えたのは。
基本的人権とか生得の権利とか訳の分からないことを云って、責任を人のせい社会のせいにして自己正当化をしているうちは、悪しきカルマ(悪業)の連鎖から逃れられません。身の周りで起きることはすべて自分の責任として受け止めた時から、善きカルマ(善業)がスタートするんです、人生が好転して来るんです。ここを分かっていない人があまりにも多い。どういう訳か子供が憎い!と感じている親は、早く気付きなさい!幸せになりたければ。
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