〔原文〕
顔淵問爲邦。子曰、行夏之時、乘殷之輅、服周之冕。則韶舞。
放鄭聲、遠佞人。鄭聲淫、佞人殆。
〔読み下し〕
顔淵、邦を為めんことを問う。子日わく、夏の時を行い、殷の輅に乗り、周の冕を服す。楽は則ち韶舞、鄭声を放ち、佞人を遠ざく。鄭声は淫、佞人は殆し。
〔通釈〕
顔淵が国を治める方法を問うた。孔子は、「暦は夏の時代の農事暦を用い、車は殷の時代の輅を用い、冠は周の時代の冕を用いたら良かろう。音楽は舜の韶と舞を用いて、鄭の流行歌を追放し、口達者な佞人は遠ざけなさい。鄭の音楽は淫らだし、佞人は国を危うくする元だ」と答えた。
〔解説〕
「夏の時」とは、夏の時代に用いられた農事暦のことで、この時代既に一年365日、四年に一度の閏月(うるうづき)があったと云われる。「殷の輅」とは、殷の時代に用いられた天子が乗る車のこと。漆塗りの質素で堅牢な車であった。「周の冕」とは、祭祀の際に被るお洒落で見栄えの良い冠。孔子の時代は既に養蚕が盛んで、麻よりも絹の方が安価であった。
「韶舞」とは、孔子が「美を尽くせり、又善を尽くせり」(八佾第三)、「図らざりき、楽を為すことの斯に至らんとは」(述而第七)と絶賛した舜の音楽。「鄭声」とは、当時一世を風靡したと云われる鄭の流行歌。官能的で人民の良俗を乱したと云うから、一体どんな曲だったんでしょうかねえ?
「佞人」とは、口達者で媚び諂いの人。佞人を嫌うことは分かるとしても、孔子は陽貨第十七でも「鄭声の雅楽を乱るを悪む」と述べておりますから、余程嫌っていたのでしょう。こう迄云われると益々聴いてみたくなりますね。美輪明宏と美川憲一とカルーセル・マキと池畑慎之助(ピーター)をごちゃ混ぜにしたようなものだったんでしょうかねえ?考えただけでもゾッとするねえ。
〔子供論語 意訳〕
弟子の顔淵が、国を治めるポイントを質問した。孔子様は、「まず暦を統一して年間スケジュールを明確にしなさい。我が国は農業国だから、夏の時代に用いた農耕暦を利用したらいいだろう。王様の乗る車は、派手なものより地味で丈夫なものを使いなさい。殷の時代に王様が乗った輅という車をモデルにしたらいい。儀式の時にかぶる冠は、オシャレで安価な絹の冠にしなさい。周の時代の冕という冠がいいだろう。国歌は伝統を重んじた威厳のあるものにしなさい。古代の舜という王様が作った韶舞の曲を参考にしたらいいだろう。いま流行りの浮ついたものは避けなさい。政治家は口上手で国民の人気取りをする人はクビにしなさい。浮ついた国歌は民族の誇りを失わせ、パフォーマンスで国民の人気取りをする政治家は国をつぶすからね」とおっしゃった。
〔親御さんへ〕
松岡農相の自殺を承けて後任農相に就任した赤城徳彦という人物の顔つきを見て、殆どの国民が「何だこりゃ?この貧相な男は!なんでこんな人物を後任に選んだのか、阿倍さんは!?」と感じたのではないでしょうか?中川幹事長が挙げて来た者をそのまま認めたのでしょうが、案の定出るは出るはお粗末な身辺問題が。極め付けは、無精髭に絆創膏じゃないのかなあ?あれを見て国民は完全に失望してしまったんじゃあないでしょうか?安倍内閣と自民党に。
私人赤城徳彦に対してとやかく云える資格は誰にもありませんが、公人つまり国の大臣としてならば「国家の品格を傷つけるような人物を大臣に就けるな!」と云っていい。「四十過ぎたら自分の面に責任を持て!」とったのはリンカーンだったか・・・、普段の思いや心掛けが顔の相に必ず出てきますから、口先ではどんなに立派なことを云おうと、人は直感的に読み取ってしまうんですね。
アレキシス・カレルというノーベル生理学・医学賞博士が、70年前に書いた「人間この未知なるもの」という本の中でこの問題に触れておりまして、次のように述べている。『各人はその姿形や、その振舞や、顔つきによって特徴づけられる。その外面的な形が体と心の素質と能力を表している。顔つきは、隠された意識の働きよりさらに一層深いものを表している。この顔つきという開かれた本の中には、その個人の悪徳・美徳・知性・愚かさ・感情や、非常に注意深く隠されている習慣ばかりでなく、その人の体の構造や、罹りやすい肉体と精神の病気についても述べられている』と。
顔つきは隠された内面を語る開かれた本である!とカレルは云う。赤城徳彦の顔つきを見て「ダメだこりゃ!」と直感した国民は間違っていなかったんです。キネシオロジーテストで彼を測定してみるとログ125と出る。これ修羅界の下、畜生界の意識レベルの人です。何をやっているんだ自民党は!国民をなめるんじゃないよ!!と思った国民の方が正常な感覚なんですよ。
ログ125と云えば、否定・失望・欲望・切望・奴隷状態の精神構造の持ち主ということですからね。国家の農政を預かれる素質や能力など、初めから持ち合わせていない人です。日本の憲政史上、田中真紀子(ログ175修羅界の意識レベル)の外相登用が最悪かと思っていたけれども、今回はそれ以上だったね。
安倍総理はログ500を打つ菩薩界の意識レベルの人ですが、坊ちゃん育ちのせいか、どうも人を見る目に甘さがあるようだね。本人もそこは自覚していると思うが、人を見る目に長けた幕賓(ばくひん)を側においた方が良い。そうだねえ、戦国時代魏の文侯の政治顧問を務めた李克(りこく)のような人物を。
李克の人物鑑識法〈五観法〉
1、居りてはその親しむ所を視(み)る
・・・不遇の時、誰と親しくしていたか?どんな物事に親しんで
いたか?を見る。
2、富みてはその与うる所を視る
・・・富裕な時、誰に与えたか?どんな物事に財を散じたか?を見る。
3、達してはその挙ぐる所を視る
・・・高位に就いた時、どんな人物を推挙したか?登用したか?を
見る。
4、窮してはその為さざる所を視る
・・・窮地に陥った時、不正を働かなかったか?
誘惑に負けて意志を曲げなかったか?を見る。
5、貧してはその取らざる所を視る
・・・貧乏した時、何でもかんでも貪り取らなかったか?
卑屈にならなかったか?を見る。
以上五観法でパスしたら、あとはキネシオロジーテストをやってみて、ログ400以上(縁覚界の意識レベル)の人物を大臣に据えたら良い。こうすれば、まず人事に間違いはなくなる。(と、この原稿を書いている2007年8月1日、赤城農相の更迭が発表された。参院選前にやれば良かったのに、中川幹事長は一体何をやっていたんだろう?)(と、更に原稿をワープロで打ち始めた9月12日、突然阿倍総理辞任が発表された。内閣改造後の所信表明をやったばかりなのに、何か後味が悪いね。こんな辞め方をすると、次がなくなるよ。残念だね、やっと出た本格的な政治家と期待していたのに。図々しくふてぶてしくなれなかったんだね、魑魅魍魎の世界では・・・。)
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