〔原文〕
子路問君子。子曰、脩己以敬。曰、如斯而已乎。曰、脩己以安人。曰、如斯而已乎。曰、脩己以安百姓。脩己以安百姓、尭舜其猶病諸。
〔読み下し〕
子路君子を問う。子日わく、己を脩めて以て敬す。日く、斯くの如きのみか。日わく、己を脩めて以て人を安んず。曰わく、斯くの如きのみか。日わく、己を脩めて以て百姓を安んず。己を脩めて以て百姓を安んずるのは、堯・舜も其れ猶諸を病めり。
〔通釈〕
子路が、「どうしたら君子になれますか?」と問うた。孔子は「自己の修養に努めて、慎み深くあること」と答えた。子路が、「たったそれだけですか?」と重ねて問うと、孔子は、「そう、それができてこそ人様を安んずることができるのだ」と答えた。
子路は更に、「たったそれだけですか?」と問うと、孔子は、「そうだ!己を修めて初めて天下万民を安んずることができるのだ!お前は己を修めること位簡単だと勘違いしているようだが、かの堯・舜ほどの聖人でさえ、己を修めて天下万民を安んずることに腐心されたのだ」と答えた。
〔解説〕
孔子教学(儒教)は、「修己治人の学」と云われますが、これは儒教に限らず、すべての教えに共通することです。自己の修養を放ったからかしにしておいて、天下国家を論じてみても、所詮は絵に画いた餅、本気で耳を傾けてくれません。
マー姫(田中真紀子)の影が段々薄くなって来たのはそのせいでしょう?国民の目は節穴ではありませんから。週刊誌でも、少し前迄はマー姫の記事を書くとパッと部数が伸びたそうですが、最近は全く関係なくなったそうですね。
今は、皇太子と雅子妃の所業を書くと確実に売れるのだそうです。次期国家元首(皇太子)はどんな自己修養をして来られたのか?「命に懸けても雅子を守ります!」って、命に懸けて守るのは国民(くにたみ)じゃないのかねえ・・・?「己を修めて以て百姓を安んず」でしょう!国家元首は。
〔子供論語 意訳〕
弟子の子路が、「どうしたら立派な人間になれますか?」と質問した。孔子様は、「自分を磨いて、人を敬いなさい」と答えた。子路は先生の答えがあまりにも簡単だったので、「たったそれだけですか?」と問い返した。孔子様は、「そう、自分を磨いている人とは安心してつきあえるからね」と答えたが、子路は納得が行かず、「たったそれだけで本当に立派な人間になれるのでしょうか?」と重ねて質問した。孔子様は、「そうだ!安心できる人間でなかったら人が信用してくれない。信用してもらえなければ、誰も君のいうことに耳を貸してくれない。耳を貸してもらえなければ、君がどんなにいいアイデアを持っていても採用してもらえない。採用してもらえなければ、すべては絵に画いた餅で終わってしまう。人はみんな神様からすばらしい宝物を授かって生れて来る。それを宝の持ち腐れにしてしまったら、もったいないではないか!だから、人様から安心してもらえるような人間になりたければ、まず自分を磨きなさい。これが立派な人間になるための昔から伝わる秘訣なんだよ」とおっしゃった。
〔親御さんへ〕
自分を磨くなどと云いますと、今の人は技術の習得によるスキルアップや全身美容のエステなど、目に見える自分のことばかり気にしているようですが、そうではない、そんなことは大したことではない。目に見えない自分、つまり心や精神を磨くということです。これを「修身(しゅうしん)」と云います。
手元に「尋常小学校修身教科書」の資料がありますが、これどうして復活させないのでしょうか?復刻版が出ているそうですから、皆さんも一度買って読んでみたらいい、大変に良いことが書いてある。
思っているだけ、考えているだけでは何にもならない!善いと思ったことは実行・実践してみなさい!という理念で貫かれている。これのベースになっているのは、前に講義した「教育勅語」の十二の徳目だと思います。
国会で道徳教育が云々されているけれども、道徳・徳の道の何たるかの分かっていない政治家や役人が屁理屈を捏ね回すよりも、まず「教育勅語」と「修身」を復活させること!次にこれを現代の時代背景に合わせてバージョンアップすれば良い。
その前提が、一度きちんと論語を学んでみると云うこと。論語もロクに学んだことのない政治家や役人、己を修めることを知らない人間が上に立ってやろうとするから、益々混乱してしまう。修己治人は、千古不易の要諦です。もっと先人の英知に学びなさい!!
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