〔原文〕
陳成子弑簡公。孔子沐浴而朝、告於哀公曰、陳恆弑其君。請討之。公曰、
告夫三子。孔子曰、以吾從大夫之後、不敢不告也。君曰、告夫三子者。
之三子告。不可。孔子曰、以吾從大夫之後、不敢不告也。
〔読み下し〕
陳成子、簡公を弑す。孔子沐浴して朝し、哀公に告げて日わく、陳恒其の君を弑す。請う之を討たん。公日く、夫の三子に告げよ。孔子日わく、吾大夫の後に従えるを以て、敢て告げずんばあらざるなり。君日く、夫の三子者に告げよと。三子者に之きて告ぐ。可かず。孔子日わく、吾大夫の後に従えるを以て、敢て告げずんばあらざるなり。
〔通釈〕
斉の大夫陳成子が、主君である簡公を殺害した。これを知った孔子は沐浴して身を清め、朝廷に参内して哀公に進言した、「斉の陳恒が主君の簡公を殺しました。このような不義を見過ごす訳には参りません。すぐさま兵を発してこれを討伐していただきたい!」と。
哀公は、「あの三人(三桓)に云ってくれ!」と云った。孔子は、「大夫の末席につらなる立場の者として、敢えて進言せずにはいられないのだが、我が君は意に介することなく三桓に云えと仰せられるか・・・」とつぶやきながら、三桓を訪れたが、誰も耳を貸す者はいなかった。
孔子は、「なるかならぬかは別にして、是は是、非は非を断ずるのが政治指導者の使命だ。私は大夫の末席につらなる者として、敢えて云わずには居られなかったのだ」と云った。
〔解説〕
陳成子とは田常(でんじょう)のこと。門人宰我は、この時田常のクーデターに加担して一族皆殺しにされている。田常はクーデターに成功し、簡公の子平公(へいこう)を君位に就け、斉の国政を牛耳ることとなる。
孔子この時71才、既に現役を退いていたけれども、事勿れ主義に流されている後進の大臣・官僚の姿勢が気になっていたのではないでしょうか?大国斉にかなう筈がないと知りながらも、「敢て告げずんばあらざるなり」と二度も繰り返している。
更に、孔子の弟子達は次々とエリート官僚に登用されておりましたから、自己保身に汲々として事勿れ主義に陥らぬよう、「なるならぬの前に、是々非々を論ぜよ!損得よりも善悪を優先せよ!」と、身を以て示したのかも知れません。
〔子供論語 意訳〕
斉国の大臣陳成子が、殿様の簡公を殺して、後継ぎに簡公の子平公を新しい殿様に立ててロボットのように操った。これを知った孔子様は魯国の殿様哀公に、「すぐさま非難声明を発表して下さい!」と訴えたが、哀公は、「そんな難しいことはあの三大臣に言ってくれ!」と答えた。がっかりした孔子様は、それならばと孟孫・叔孫・季孫三人の大臣を訪問して訴えたが、誰も耳を貸さなかった。孔子様は、「自分の身を守るために、ことなかれ主義でいつも曖昧な態度を取り続けていると、そのうち誰からも相手にされなくなってしまうだろう。損得の前に善悪を議論するのが政治家の務めではないのか?かつてこの国の大臣を務めたことのある私としては、陳成子の悪事に見て見ぬふりをする今の大臣や官僚を、このまま放っておけなかったのだ。だから敢えて苦言を呈したのだ」とおっしゃった。
〔親御さんへ〕
先日、青年部後畏塾の女性達と世間話しをしていた時に、嫌いな男性のタイプに話しが及び、全員共通のワーストワンは、「吝嗇(けち)な男」である事が分かりました。そこで、ケチにも色々あるが、どんなケチが嫌いか?となり、金の出し惜しみ・物の出し惜しみの次に上がったのが、ケチな料簡の人(心の狭い人)という意外なものでした。
どんなことをケチな料簡と思うのか?と問うた所、力の出し惜しみ・自己保身・事勿れ主義・エゴ(自己中心)・女々しい態度・野暮こき・・・等々、女性は男どものこういう所をどうも直感的かつ瞬時に見抜いているようで、しかもその眼はかなり確かなようです。
男性は物事を理屈で考えようとしますが、理屈で考えても良く分からない時は、素直に女性に「どう思う?」と聞いてみたらいい。女性の直感力にはすごいものがあります。(中にはボーッとした人もおりますが)「女にモテないような奴はモノにならん!」と昔から言いますが、どうもこれは本当のようです。モテてもモノにならん奴が一杯いるのだから、モテなかったらどうしようもないでしょう?世界の半分は女性なんだから。
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