〔原文〕
子曰、不得中行而與之、必也狂狷乎。狂者進取、狷者有所不爲也。
〔読み下し〕
子日わく、中行を得て之に与せずんば、必ずや狂狷か。狂者は進みて取り、狷者は為さざる所有るなり。
〔通釈〕
孔子云う、「中庸を心得た人と仲間になりたいものだが、中々出会えない。ならば狂者か狷者を探すとしようか。狂者は善いとなればすぐ飛びつくし、狷者は悪いとなれば絶対に手出ししないからなあ」と。
〔解説〕
狂者とは、夢想的理想主義者、狷者とは、潔癖症の石頭と考えてもらって良いでしょう。一般的に云えば、狂者とは気違い、狷者とはヘソ曲がりのことですから、孔子は、気違いやヘソ曲がりと親しくしていたのか?と勘違いしそうですが、そうではないんですね。狷者を新潟弁で云えば、そうですねえ・・・、「一概(いちがい)こき(一度思い込んだらテコでも動かない人)」と云ったら分かり易いでしょうか?
ついでに本章をそっくり新潟弁に翻訳してみましょう。“孔子がゆうたって、「あんべ(塩梅)のいいしょと友達んなりとて、しかもかあたけたろも、なっかなか見つからなねんさ。そうせばやっぱ、のぼせたがんか、一概こきでも探すしかねぇねっかね、おめさん。のぼせたがんは、いぃってばんーま飛びつくし、一概こきは、わーりってばテコでも動かねすけね」と。”(古町生れ古町育ちの75才、片桐賢二訳)なじらね?おもっしぇろも、ちと間が抜けたみてらね!?
アレッ?ちょっと調子が狂ってしまったようです。
〔意訳〕
孔子様がおっしゃった、「心の平らな人と友達になりたいのだが、中々見つからない。だったら、多少偏っていても、善いと思ったことはすぐやる人か、悪いと思ったことは絶対にやらない人を探すしかないかな?どちらもちょっと扱いにくいが、中途半端でいい加減な人よりは増しだろう」と。
〔親御さんへ〕
解説で新潟弁の翻訳が出ましたので、今度は長岡弁に翻訳してみましょう。“孔子様がゆうたてんがの、「人柄のいいもんと友達んなりてがぁろも、中々見つからんがぁて。多少のことはいいことんして、いいと思えばすぐやる人か、悪いことは絶対しね人と付き合うしかねぇこっつぁ。どっちも扱いにくいがぁろも、そうかとゆうて、中途半端でいい加減なもんよりは増しらてばね」と。”(表町生れ表町育ちの72才、椿紀代司訳)
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