〔原文〕
子曰、誦詩三百、授之以政不達、使於四方、不能専對、雖多亦奚以爲。
〔読み下し〕
子日わく、詩三百を誦し、之に授くるに政を以てして達せず、四方に使いして専対すること能わざれば、多しと雖も亦奚を以て為さん。
〔通釈〕
孔子云う、「詩経三百五篇を丸暗記する程猛勉強したとしても、一国の政治を任されて何の成果も上げられず、外交交渉に於いて独りで堂々と渡り合えないようでは、そんな猛勉強が一体何の役に立つと云うのか!?」と。
〔解説〕
これが2500年前の言葉であるとは、とても思えませんね。今の日本国外務省のことを云っているのではないでしょうか?外交官試験は司法試験より難しいそうですから、受験秀才の中でも特別に優秀な人が外交官になっている筈ですが、「四方に使いして専対すること能う」人物が一体どれ位いるのでしょうか?今の外務省には。
外交官として外国に派遣されるとなれば、儒教圏であれば「論語」、キリスト教圏であれば「聖書」、イスラム教圏であれば「コーラン」、仏教圏であれば「法華経」をじっくり研究して、民族固有の価値観や伝統精神を把握した上で交渉に当るのは当然のことです。日本以外では道徳の根幹は宗教にあるのですから。「彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず」ですからね。
「彼を知らずして己を知れば、一勝一負す」ならまだ良い方で、最近の対中国・対韓国・対北朝鮮との外交交渉を見ていると、「彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし」、国益を損なうことばかりしているようにしか映りませんが、どうなっているのでしょうか? 政治の世界は「努力しています!」ではダメでありまして、結果を出さなければ何にもなりません。武力(核)の後ろ盾がないからナメられる!?と云うのなら、外務省挙げて訴えなさいよ、「憲法を改正して核武装してくれ!!」と。
外交の現場は国益と国益のぶつかり合いですから、利害相反した時に「話せば分かる」などと呑気なことを云っていたら、押し切られてしまいます。こんなことは、海外旅行経験のある人なら誰だって分かります。何度も申し上げているように、戦争の反対は平和ではないし、平和の反対が戦争でもありません。平和の反対は無秩序、戦争の反対は和解です。又、核武装イコール戦争ではありません。
核武装した国に核ミサイルを打ち込めば、必ず報復攻撃を受けて双方全滅してしまうこと位子供でも分かる話ですから、破れかぶれで後は野となれ山となれ!ということでもない限り、そんな自滅行為は誰もしません。つまり、現在の核兵器は相手に核攻撃を思い留まらせる為の抑止兵器であって、攻撃兵器ではありません。
但し、核を持たない国に対して核は攻撃兵器、脅しの切り札となります。脅しに屈しないようにするには、相手と同じものを持つ、つまり「やれるものならやってみなさい!倍にしてお返しする!!」とやるか、或は、発射した国に逆戻りするような重力反転装置を開発して、「当方にはブーメランビームという最新装置がある。撃ちたければ撃ってみなさい!自国が放った核で自国が破滅することになりますよ!!」と云ってやれば良い。
理不尽な相手に対する抑止力は、この二つしかないんではないですか?自らも核武装するか!?ブーメランビームのような「自業自得装置」を開発するか!?日本の科学技術力を以てすれば、30年もあればこの装置を開発できるのではないでしょうか。唯一の被爆国日本こそがやるべきではないのでしょうか。これが完成すれば、やっと地球上のすべての核兵器を無力化できる。核を放棄した国に対してのみ、この技術を供与すれば良い。
困るのは死の商人くらいのもので、世界中の人々が大喜びするのではないでしょうか?否、人聞どころか神様だって喜んでくれますよ。
〔意訳〕
孔子様がおっしゃった、「教科書を全部暗記するくらい猛勉強したとしても、応用問題が解けなかったら学力はつかないぞ。社会に出たら模範解答のある問題は一つもなく、すべてが応用問題ばかりだから、今のうちに応用問題を解く練習をして、頭を鍛えておきなさい!」と。
〔親御さんへ〕
学校教育と社会教育の決定的な違いは何か?と云えば、学校では答えのある問題の解き方を教え、社会では答えのない問題の解き方を教えることにある、と云えるでしょうか。答えのある問題を解くには、方程式を覚えれば万人同じ答えが出るけれども、答えのない問題を解く方程式はありませんから、一人一人が滑っだり転んだりしながら、自ら方程式そのものを作って行く他はありません。
理想とする所は人それぞれ違う、つまり、答え(理想)は外部にあるのではなく、己の内にしかない!ということですね。ですから、百人居れば百通りの方程式があり、千人居れば千通りの方程式がある。人は人のやり方でやれば良し!あなたはあなたのやり方でやればいいんです!!
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