子路第十三 314

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〔原文〕
仲弓爲季氏宰、問政。子曰、先有司、赦小過、擧賢才。曰、焉知賢才而擧之。
曰、擧爾所知。爾所不知、人其舎諸。

〔読み下し〕
(ちゅう)(きゅう)()()(さい)()りて、(まつりごと)()う。()(のたま)わく、有司(ゆうし)(さき)にし、小過(しょうか)(ゆる)し、賢才(けんさい)()げよ。()わく、(いずく)んぞ賢才(けんさい)()りて(これ)()げん。(のたま)わく、(なんじ)()(ところ)()げよ。(なんじ)()らざる(ところ)(ひと)()(これ)()てんや。

〔通釈〕
仲弓が季氏の所領の代官となった際に、指導者の心得を問うた。孔子は、「先ず第一に、部下となる役人の意見をよく聞いてやり、いいアイデアは積極的に採用してやりなさい。第二は、部下の小さなミスは大目に見てやりなさい。第三は、賢人を見出してどしどし登用しなさい」と答えた。仲弓は、「どうしたら広く賢人を集めることができるでしょうか?」と重ねて問うた。孔子は、「まずお前の知っている人の中で、これはと思う人物を登用することだ。そうすれば、今度の代官は積極的に賢人を登用する人だという噂が広まって、お前の知らない範囲については、他の人がどしどし推薦してくれるようになるだろう」と答えた。

〔解説〕
本章の解釈で最も参考になると思われるものは、前回の講義にも出た佐藤一斎「重職心得箇条」の第二条ではないかと思います。

曰く、『大臣の心得は、先ず諸有司の了簡(りょうけん)を尽くさしめて、是を公平に裁決する所其の職なるべし。もし有司の了簡より一層能き了簡有りとも、さして害なき事は、有司の議を用いるにしかず。有司を引立て、気乗り能き様に駆使する事、要務にて候。又、些少の過失目につきて、人を容れ用いる事ならねば、取るべき人は一人も無之様(これなきよう)になるべし。功を以て過を補わしむる事可也。又、賢才と云う程のものは無くても、其の藩だけの相応のものは有るべし。人々に択(よ)り嫌いなく、愛憎の私心を去りて用ゆべし。自分流儀のものを取り計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず。平生嫌いな人を能く用いると云う事こそ手際なり、此の工夫あるべし」と。これ以上つけ加えることは何も無いと思います。要は、「私心を捨てて、人を生かせ!」ということですね。

〔意訳〕
弟子(でし)(ちゅう)(きゅう)季孫家(きそんけ)領地(りょうち)代官(だいかん)となった(さい)に、リーダーの心得(こころえ)質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「第一(だいいち)は、()部下(ぶか)意見(いけん)をよく(ぶき)いて、いい意見(いけん)はどしどし()()げてやること。第二(だいに)は、部下(ぶか)(ちい)さなミスには、いちいち()くじらを()てないこと。第三(だいさん)は、身内(みうち)他人(たにん)かにかかわらず、能力(のうりょく)のある(ひと)にどしどし仕事(しごと)(まか)せること」と(こた)えた。(ちゅう)(きゅう)は、「どうしたら能力(のうりょく)のある(ひと)(あつ)められるでしょうか?」と(かさ)ねて質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「まずは(きみ)身近(みぢか)部下(ぶか)(なか)で、これはすぐれ(もの)だ!と(おも)(ひと)抜擢(ばってき)して仕事(しごと)(まか)せてみなさい。そうすれば、今度(こんど)のリーダーはえこひいきしない(ひと)だという評判(ひょうばん)(ひろ)まって、(つぎ)から(つぎ)へと有能(ゆうのう)人材(じんざい)(あつ)まって()るだろう」と(こた)えた。

〔親御さんへ〕
戦国時代の縦横家の術策を集めた書物に、劉向(りゅうきょう)の「戦国策」があります。その中の「燕(えん)策」に『隗(かい)より始めよ』という有名な話しが載っている。

…BC4世紀、燕は内乱に乗ぜられて斉の侵略を受け、壊滅状態に陥った。
   その時
即位したのが昭王である。昭王の世話係(ジイ)を務めていた人物が
    郭隗(かくかい)であった。

昭王「国の再興を期す為に、広く天下に人材を求めたいが、どうしたものだ
        ろうか?」

郭隗「人材を招くにはいくつかの方法があります。
        その一は、礼を尽くして相手に仕え、謹んで教えを受ける。これならば
        自分に百倍勝る人材を集めることができます。

        その二は、相手に敬意を表してじっと耳を傾ける。こうすれば自分に
        十倍勝る人材が集まります。

        その三は、相手と対等に振る舞う。これでは自分と同程度の人材しか
        集まりません。

        その四は、床几(しょうぎ)にもたれて杖を握って横目で指図する。
        これでは小役人しか集まりません。

        その五は、頭ごなしに怒鳴りつけ叱りとばす。これでは最早召使しか
        集まりません。これが人材を招致する時の常識であります」。

昭王「では先ず誰に教えを受けたら良かろうか?」

郭隗「こんな話しを聞いたことがあります。昔ある王が、千金を投じて千里の
        駿馬を探し求めましだが、三年かかっても手に入れることができません
       でした。その時『私が探して参ります』と云ってお付きの者が申し出ま
       した。王はこの男にまかせました。それから三月、男は千里の駿馬の居所
       を突き止め、行ってみると馬は既に死んでいたのです。男はその馬を
       五百金で買い取り王に差し出しました。王は立腹して、『私が欲しいのは
       生きている馬だ!死んだ馬に五百金も出すバカがどこにいる!!』と
       云って男を怒鳴りつけました。

男は『死んだ馬でさえ五百金で買ったのです。生きた馬ならもっといい値で
        買ってくれるときっと評判になります。馬はすぐにでも集まって参り
        ます』と答えました。

果して一年も経たぬうちに千里の駿馬が三頭も集まって来たという事です。殿も本気で人材を招こうとなさるなら、まずはこの郭隗からお始め下さい。私のような者でも大切にされるとなれば、私より優れた人物は尚更のこと、千里の道をも遠しとせずやって参りましょう」。そこで昭王は邸宅を築いて郭隗に与え、師として敬って教えを受ける事にした。

果せるかな、魏の国からは楽毅(がくき)が、斉の国からは鄒衍(すうえん)が、趙(ちょう)の国からは劇辛(げきしん)が馳せ参じ、有能な人材が続々と燕に集まった。こうして二十八年、国力は充実し遂に斉を打ち破ることとなる…。『隗より始めよ』とは、本章にある如く「爾の知る所を挙げよ。爾の知らざる所、人其れ諸れを舎てんや」を地で行ったものですね。
 

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