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原文
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子貢問友。子曰、忠告而善道之、不可則止。無自辱焉。
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〔 読み下し 〕 |
子貢、友を問う。子曰わく、忠やかに告げて善く之を道き、不可なれば則ち止む。自ら辱めらるることなかれ。
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〔 通釈 〕 |
子貢が交友のあり方を問うた。孔子は、「誠意を尽くして率直に告げ、善い方に誘導してあげなさい。どうしても耳を貸さないようであれば、忠告するのは一旦中止しなさい。無理に押し付けると反発をくらって、情けが仇となることがあるから、気が付く迄待つしかない」と云った。
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〔 解説 〕 |
忠告とは忠(まめ)やかに告げること、つまり、誠意を尽くして率直に告げるという意味であります。交友にはこれが必要なんですね。
普通は、相手の気分を害さないようにと遠慮して、云うべきことも云わない場合が多いものですが、孔子はズバリと云いなさい!と述べている。但し、人によっては、「あんたにそんなこと云われる筋合いはない!」とか、「何お!こしゃくな!!」などと云う人もおりますから、その場合はあまり深入りせず、相手が気付く迄待ってやれ!とも云う。あまりしつこく云うと、逆恨みされて、情けが仇となることがある。
私にもそういう経験がありまして、特におかしな宗教にはまっている人に対しての忠告は難しい。邪教にやられている人は、必ず目を吊り上げて反論して来ます。まず聞く耳を持ちませんから、本人が気付くまで待つしかない。云い足りなくてもダメ、云い過ぎてもダメ、中庸を得るというのは難しいですな。
率直に自分の非を指摘してくれる友は得難いものです。友の忠告はありがたいものです、自分で自分のことは見えませんから。大切にしなければなりませんね、友の目は。仲良しごっこではダメなんです、本当の友は!結構いるんですよ、仲良しごっこを以て交友の道と勘違いしている人が。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
弟子の子貢が、「友情とはどういうものでしょうか?」と質問した。孔子様は、「友達が間違ったことをしていたら、見て見ぬふりをせず、それはいけない!とはっきり忠告してあげなさい。云っても聞かないようであれば、アドバイスは一旦中止しなさい。あまりしつこく云うと反発をまねいて、わざと悪いことをやるようになるから、かえって逆効果になる。そういう時は、相手が気付くまで待ってやるしかないんだよ」とおっしゃった。
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〔 親御さんへ 〕 |
以前「インチキ宗教の見分け方」を紹介しましたが、そのホームページをご覧になられた方からメールが来まして、「自分はこれを見て、ハッと気付いて脱会したが、女房が頑として云うことを聞かない。説得すればする程反発してのめり込んで行く。どうしたものでしょうか?」との問い合わせがきました。
「それで日常生活に何か支障がありますか?」と返信しますと、「何もない」との返事が来ましたので、「ならば放っておきなさい。一度信じ込んだ信念体系をへし折られることは、手足の骨を折るよりつらいことだから、反発するのは当然です。邪教になればなるほど反発が強くなる。
何故ならば、邪教を信じる人は邪教の邪たる所に引かれて入信したからであって、正たる所に引かれて入ったのではないからです。ですから、本人が気付く迄気長に待ってやるしかないんです。日常生活に支障がないのであれば、奥さんを説得しようなどということに無駄なエネルギーを使わず、あなたご自身の徳を磨くことにそのエネルギーを使ってみてはどうですか?」と提案した所、「そうしてみます!」との返事が来ました。
こういう時の対処は本当に難しい。下手をすると家庭内宗教戦争が起きて、家庭が崩壊してしまいます。「北風と太陽」の太陽のように、ジワジワ温めてやるしかないですね、こういう時は。
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