顔淵第十二 309

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原文                 
樊遅從遊舞雩之下。曰、敢問崇徳、脩慝、辨惑。子曰、善哉問。先事後得、
非崇徳與。攻其惡、無攻人之惡、非脩慝與。一朝之忿、忘其身以及其親、
非惑與
 
〔 読み下し 〕
樊遲(はんち)(したが)いて()()(もと)(あそ)ぶ。()わく、(あえ)(とく)(たか)くし、(とく)(おさ)(まどい)(べん)ぜんことを()う。()(のたま)わく、()いかな()うこと。(こと)(さき)にして()ること(あと)をにするは、(とく)(たか)くするに(あら)ずや。()(あく)()めて(ひと)(あく)()むること()きは、(とく)(おさ)むるに(あら)ずや。一朝(いっちょう)忿(いかり)()()(わす)れて(もっ)()(しん)(およ)ぼすは、(まどい)(あら)ずや。
 
〔 通釈 〕

樊遅が孔子のお供をして雨乞い台の下を散歩していた際に、「人徳を高め、己心の魔を祓い、惑いを解くにはどうしたら良いでしょうか?」と質問した。孔子は、「おお、お前にしては上出来な質問だ!

先ずやるべきことをやって、報酬は後回しにすれば、徳が磨かれるのではないかな。人の悪い所を見たら自分に置き換えて反省してみる。人の悪い所は咎め立てしない。こう
すれば己心の魔は退散するのではないかな。

一時の腹立ち紛れに我が身を忘れて当り散らしたりすれば、自分のみならず親族に迄迷惑を及ぼしてしまうことになる。一時の感情に振り回されて自分を見失ってしまうこと、これが惑いと云うものではないかな」と答えた。
 

〔 解説 〕

ピンボケ樊遅にしては余りにも上出来な質問なので、宮崎市定は、「崇徳(すうとく)・脩慝(しゅうとく)・弁惑(べんわく)」は雨乞い台に刻まれた祝詞(のりと)だったのではないか? それを見て樊遅は、どういう意味かを尋ねたのではないか?と推測しておりますが、恐らくそんな所だったのでしょう、論語の中で孔子と交わさる樊遅の会話は、どれもこれも間が抜けていて、ここだけが異様にまともですから。

ただ孔子の答え方からすると、樊遅は頭が鈍い割には計算高いところがあり、自分のことを
棚に上げて人のことをとやかく云い、カッとなってキレる性格だったようですね。でもまあ論語に樊遅のようなとぼけた人物が登場すると、ちょっとホッとしますね、我々凡人は。顔淵や曽子みたいな人達ばかりだったら息が詰まって、これ程「論語」書は普及しなかったかも知れません。論語の面白さは登場人物の個性のバラエティーさにもあるのではないでしょうか。

となると、樊遅も大いに一役買っていることになります。編者がこういうことをちゃんと読んで、樊遅を何度か登場させたとしたのなら、畏るべき先見性ですね。尚、平安後期の崇徳(すとく)天皇や、崇徳(たかのり)という男子の名はこの章からとったものでしょう。
 

〔 子供論語  意訳 〕
弟子(でし)樊遅(はんち)が、孔子(こうし)(さま)のお(とも)をして公園(こうえん)散歩(さんぽ)していた(とき)に、「人格(じんかく)(たか)め、(わる)いクセを(なお)し、(だれ)とでも(なか)()くするにはどうしたら()いでしょうか?」と質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「それはいい質問(しつもん)だね。自分(じぶん)(ひと)からしてもらうことよりも、(ひと)にしてあげることを(おお)くすれば、人格(じんかく)(たか)まる。自分(じぶん)自分(じぶん)のことは()えないから、(ひと)(わる)(ところ)()たら()(ぶん)にもそういう(ところ)がないか反省(はんせい)してみる。(ひと)のふり()()がふり(なお)せ!こうすれば自然(しぜん)(わる)いクセが(なお)る。(なに)ごとも自分(じぶん)中心(ちゅうしん)(かんが)えず、相手(あいて)立場(たちば)尊重(そんちょう)する。自分(じぶん)がされたらいやなことは、(けっ)して(ひと)にしないこと。こうすれば(だれ)とでも(なか)()くなれる」とおっしゃった。
 
〔 親御さんへ 〕

当会二期生「赤羽塾」に、壮太郎という古くからの友人がおりまして、「自分は樊遅の生まれ変りかも知れない」と云うものですから、「なぜかね?」と問いますと、「ピンボケですから…」と云う。

「ああそれはそうだが、樊遅よりは益しだろう?」と云うと、「そうでしょうか??」と怪訝な顔をしますので、「樊遅は頭はボーッとしているが計算高い所がある。君もボーッとしているが計算高くはない。樊遅は自分のことを棚に上げて人をとやかく云うが、君が人を中傷するのを私は聞いたことがない。樊遅はカッとなって当り散らすことがあるが、君はボーッとなったままで人に当ることがない。ボーッとした所が直れば、樊遅どころか顔淵みたいになれるんじゃないか!?」と申しますと、「どうしたらボーッとした所を直せるでしょうか?」と問う。

「それを直す方法は一つしかない。早起き→早寝だ!」と云うと、「早寝→早起きじゃないんですか?」と問いますので、「いやそれは逆だ。そうやるからみんな失敗する。夜更かし型の人間は早起きが苦手なのではなく、早寝が苦手だから早く起きられない。夜更かしをしてもいい
から、とにかく一度早く起きてみる。そうすると夜9時頃には自然に眠くなる。眠くなければ夜更かししてもいい。

しかし、必ず翌朝は早く起きること。これを繰り返していると、いつの間にか朝型人間になってシャキッとする。好きなだけ夜更かししていいから、朝5時には必ず起きること!」と云ったのが今から5年ほど前。最近何んとなくシャキッとしているように見えますから、早起き→早寝の習慣が身についたのかな?それとも私の錯覚でしょうか?

近年夜更かしする子供が増え、脳に発達障害が出て三角形を画けない幼児が急増していると聞きます。文部省も早く寝かしつける為の対策に頭を痛めているそうですが、簡単ですこんなものは。泣こうが・わめこうが・ぐずろうが、毎朝6時に叩き起こせばいいんです!早く寝かしつける必要なんかない、否でも応でもとにかく叩き起こす!!

これを繰り返していれば、夜は疲れて自然に早く寝るようになります。一週間で直ります。昼間ぐずられるのが嫌だからと云って、脳に障害を持った子に育てた方が良いか?一週間
我慢して正常な子に育てた方が良いか?答えは自ずと明らかでしょう。この程度のことができないのなら、親失格ですよ。早寝→早起きではありません!早寝であろうが遅寝であろうが、「初めに早起きありき!」なんです、秘訣は。
 

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