顔淵第十二 307

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原文                 
季康子問政於孔子曰、如殺無道、以就有道、何如。孔子對曰、子爲政、
焉用殺。子欲善而民善矣。君子之徳風也、小人之徳草也、草上之風必偃。
 
〔 読み下し 〕
()康子(こうし)(まつりごと)孔子(こうし)()うて()わく、()無道(むどう)(ころ)して、(もっ)(ゆう)(どう)()かば、何如(いかん)孔子(こうし)(こた)えて(のたま)わく、()(まつりごと)()すに、(なん)(さつ)(もち)いん。()(ぜん)(ほっ)すれば、(たみ)(ぜん)ならん。君子(くんし)(とく)(かぜ)なり、小人(しょうじん)(とく)(くさ)なり。(くさ)(これ)(かぜ)(くわ)うれば、(かなら)()す。
 
〔 通釈 〕
季康子が政について、「国をうまく治める為に、無道の者(悪人)を殺して有道の者(善人)だけにしてしまってはどうだろうか?」と問うた。孔子は、「政治を行なうのにどうして人民を殺す必要などありましょうや。もしあなたが率先して善政を実行するように心掛けるならば、人民は感化されて自ら善道を行なうようになるでしょう。上に立つ者の徳は喩えてみれば風のようなものであり、下にある人民の徳は草のようなものです。善い風を吹きかければ善い方になびき、悪い風を吹きかければ悪い方になびくものです」と答えた。
 
〔 解説 〕

「君子の徳は風なり、小人の徳は草なり。草之に風を上(くわ)うれば必ず偃(ふ)す」とは名言ですね。以前紹介した佐藤一斎の「重職心得箇条」の第十五条に、『風義は上(かみ)より起こるもの也…中略…上(かみ)にこの風あらば、下(しも)必ず其の習いとなりて、人心に癖を持つ…云々』とありますが、一斎は論語のこの章からヒントを得て、郷国美濃岩村藩の重職達に書き与えたのではないでしょうか。

家風・校風・社風・国風、善くも悪くも人は皆この「風」によって育まれるものです、理屈抜きで。親は家庭に善い風を、校長は学校に善い風を、社長は会社に善い風を、大臣・政治家は国に善い風を上(くわ)え続けるのが使命でしょう。そうすれば、必ず世界中の人から尊敬される国民になりますよ、日本人は元々気高い民族ですから。
 

〔 子供論語  意訳 〕
()(こく)総理(そうり)大臣(だいじん)()康子(こうし)が、「悪人(あくにん)(かた)(ぱし)から(ころ)して、善人(ぜんにん)だけの社会(しゃかい)をつくったら、よく(おさ)まると(おも)うのですが?」と質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「いくら政治(せいじ)(せい)(ただ)しいという意味(いみ)だからといって、どうして(ただ)しくない(ひと)(ころ)(ひつ)(よう)がありましょうか。総理(そうり)大臣(だいじん)であるあなたが(ただ)しい(せい)()(おこ)なえば、国民(こくみん)自然(しぜん)(ただ)しい(ほう)()くようになります。悪人(あくにん)(ぜん)(みちび)くのも(また)政治家(せいじか)使命(しめい)でしょう?(なに)かいい(たと)えはないかなあ…、ああそうだ、(かぜ)(くさ)(たと)えてみれば、(うえ)にいる(ひと)立場(たちば)(かぜ)(した)にいる(ひと)立場(たちば)(くさ)のようなものです。(うえ)(ひと)(ただ)しい(かぜ)()きかければ、(くさ)((した)(ひと))(ただ)しい(ほう)になびき、(ただ)しくない(かぜ)()きかければ、(ただ)しくない(ほう)になびくのです!」と(こた)えた。
 
〔 親御さんへ 〕

親は風・子は草、教師は風・生徒は草、経営者は風・従業員は草、政治家は風・国民は草ということですか…。

現代で最も影響力の強い風は、何と云ってもマスコミから発せられる風でしょう。テレビ局と新聞社がグルになって邪悪な風を吹き続けたら、国民はあっという間にやられてしまいますね。選挙で選ばれた訳でもない連中が、世論操縦をやって国民を洗脳してしまうことなど簡単です。ヒトラーは、「大衆は愚かだから、同じ言葉を何回も何回も繰り返せ!」と云ったそうですが、これをやればいい訳です、マスコミは。いちころですよ大衆は!

どうも我々凡人は、小さなペテンには神経質になるけれど、大きなペテンには鈍いと云うか
全く無防備のようでありまして、世界中が騙されてしまうようなことがあります。そうですねえ…、世界中が大ペテンにかけられた最近の例と云えば、9.11同時多発テロがそれでしょうかね?

あれはアルカイダのメンバーがボーイング旅客機を乗っ取って、ツインタワービルとペンタゴンに突っ込んだことになっている。しかし、様々な映像証拠から、ツインタワービルに突っ込んだのは軍用機、ペンタゴンに突っ込んだのはミサイルであったことが、今でははっきりしている。

9.11テロ以後、アフガニスタンやイラクで何が起こったかを検証すれば、結局あれは誰かさんの自作自演であったことが分かる。これについて、マスコミは一切触れようとしない。口を封じられているかのように。唯一記事にしたのは、「週刊ポスト2006年1月13日・20日合併号」位のものでしょう。あれでハッした人も相当いるのではないでしょうか?

まあ我々凡人は、コソコソやるペテンには注意を払うけれど、公衆の面前で堂々とやるペテンには、全く疎いということでしょう。テレビで放映していたから新聞に載っていたからといって、迂闊に信じてはいけませんな。
 

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