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原文
〕 作成日 2005年(平成17年)10月から12月 |
子路使子羔爲費宰。子曰、賊夫人之子。子路曰、有民人焉、有社稷焉、
何必讀書、然後爲學。子曰、是故惡夫佞者。
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〔 読み下し 〕 |
子路、子羔をして費の宰たらしむ。子日わく、夫の人の子を賊わん。子路日わく、民人有り、社稷有り、何ぞ必ずしも書を読みて、然る後に学と為さん。子日わく、是の故に夫の佞者を悪む。
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〔 通釈 〕 |
子路が後輩の子羔を費の代官に抜擢した。これを知った孔子は、「人一倍とろい(柴や愚)子羔をそのような要職に就けるのはまだ早い。未熟な代官に治められる人民もたまったものではない。あの子は大器晩成型なのだから、もう少し学問修養を積ませてからにしなさい。将来のある子も人民も、ともにダメにしてしまうぞ!」と子路を叱った。
子路はムッとして、「又そんなことをおっしゃる。既にここに治むべき人民がおり、社会があります。実務を通して学ぶのも、立派な学問修養だと思います。何も机上で書物を読むだけが学問ではないと思いますが」と反論した。孔子は、「これだから口達者な奴は嫌いだよ。口では何とでも屁理屈をこねられるからな」と云った。
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〔 解説 〕 |
孔子に面と向かってこんな事が云えるのは、孔子門下では子路位のものでしょう。280章に「柴や愚」とあるように、子羔は愚直で融通のきかない性格でしたから、子路は何とかこの後輩に自信をつけさせてやりたいと思い、自分がバックアップしてやればどうにかなる!と判断して抜擢したのでしょう。
孔子に、「おお、それは良いことをしたな!後の面倒は見てやれよ!!」と褒めてもらえると思っていた所が、「夫の人の子賊なわん!」と一喝されてしまった。良いことをしたと思っていたのに、叱られてしまったものですから、ムッとして口答えしたのではないかと思います。
ただこの会話で面白いのは、子路自身子羔には荷が重過ぎることを充分知っており、又孔子の云う事も分かっていた。孔子は孔子で、子路が後輩の為を思ってやったことも充分分かっていた。だから「夫の佞者を悪む」と、子路の反論に対して敢えてはぐらかすような言い方をした。
孔子も子路も、ともに子羔の為を思いやっている点では同じなのですが、子路のやり方は後輩子羔だけのことを考えて、人民の事は考えていない。一方孔子は、子羔のことも人民のことも考えて、つまり、未熟者の子羔も、未熟者に治められる人民も、ともに賊ないかねないことを憂慮して語っている。
こと政治に携わる者に、「失敗しながら学んで行けば良い」などと、呑気なことを云わせてはおけません。迷惑するのは人民ですから。「夫の人の子を賊なわん」とは、本人のみならず、周りの人も賊ないかねないことを慮っての発言でしょう。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
子路が季孫家の総支配人をしていた時、後輩の子羔を費という営業所の所長に抜擢した。これを知った孔子様は、「人一倍スローモーで馬鹿正直な子に、目の回るような仕事をまかせたら、パニックを起こしてしまって、本人のみならず周囲の人達にも大迷惑をかけてしまうではないか!子羔がノイローゼにならないうちに、早く呼び戻しなさい!この子はまだまだ勉強が足りません」と子路を叱った。子路はムッとして、「机に向かって勉強ばかりしていても、少しも実力がつきません。現場では失敗しながら学んでこそ実力がつくのではありませんか?」と反論した。これに対して、孔子様は、「君が後輩の為を思ってやったことはよく分かる。だが、カミソリではヒゲは剃れるが木は切れないないだろう?マサカリでは木は切れるがヒゲは剃れないだろう。カミソリにはカミソリの仕事、マサカリにはマサカリの仕事があるように、人にもそれぞれ向き不向きがあるのだから、とろい子にはとろい子に合った仕事、すばしこい子にはすばしこい子に合った仕事をさせると、みんな生き生きとして、全体が活気に満ちて来る。とろい子にすばしこい子に合った仕事、すばしこい子にとろい子に合った仕事を与えたりすれば、本人のみならず、周りもやる気を失って、全体が腐ってしまうだろう?これが人を活かして使うコツだね」とおっしゃった。
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〔 親御さんへ 〕 |
「木に縁(よ)りて魚を求むるが如し」とは、孟子の言葉だったでしょうか?そんなバカなことをする筈がない!とみんな思っているけれども、結構多いんですよこういうことは。特に我が子に対してはね。
前に、一面の長所には反面の短所が潜んでおり、一面の短所には反面の長所が潜んでいるものだ、と申し上げましたが、とろいと云うのは確かに短所だけれども、こういう子は中途半端が嫌いで、やり出したら納得の行く迄諦めないという長所がある。又、すばしこいのは確かに長所だけれども、反面器用貧乏で何をやらせても中途半端という短所がある。
足して二で割ったら丁度いいのに!?と思ったことありませんか?しかし、残念ながら、そう考えること自体が間違いの元なんですね。二で割ったら前よりも悪くなってしまうんですよ!割っちゃダメなんです。そうですねえ、分かり易く云うと、仮りに長所を1点・短所を0点、とろい子をA君・すばしこい子をB君としてみますか。
A君 俊敏性0点 耐久性1点
B君 俊敏性1点 耐久性0点
(A君+B君)÷2=1点で、点数としては元のままですが、
分解すると次のようになる。
A君 俊敏性0.5点 耐久性0.5点
B君 俊敏性0.5点 耐久性0.5点
つまり、A君には抜群の耐久性、B君には優れた俊敏性があったのに、割ってしまった為に、A君のとろさは若干改善されたけれども、持前の耐久性が半減し、B君の耐久性は幾分改善されたけれども、持前の俊敏性が半減して、二人とも何の特徴もない一山いくらの人物に成り下がってしまう。前よりも悪くなってしまう。
さあそこでどうするか?A君には耐久性を磨きながら俊敏性をつけさせ、B君には俊敏性を磨きながら耐久性をつけさせるにはどうしたら良いか?
A君には深耕型、つまり、一つのことに集中・没頭できるような環境や条件を整えてやる。目移りするようなテーマを与えない。B君には拡張型、つまり、幅広く何でも見たり聞いたりできるような環境を整えてやる。敢えて目移りさせるように、次から次へと新たなテーマを与える。
こうすることによって、A君はある特定の分野に関しては俊敏性が出て来るし、B君は千変万化する現象即ち、変化に対して耐久性が出て来る。A君にはもっともっと深く掘らせること、B君にはもっともっと幅広く経験させること、ここがポイントなんですね。みんな逆のことをやって、子供をダメにしているんですよ!とろい子に幅広く、すばしこい子に奥深くと。
読み・書き・算盤が人並みにできれば、後は「角を矯めて牛を殺す」ことなく、「備わらんことを一人に求むる」ことなく、その子に合ったやり方で、伸び伸びと育ててやったらいいんです。孔子が「夫の人の子を賊なわん」と云ったのは、こういう意味にも解釈できるのではないでしょうか。
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