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原文
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作成日 2005年(平成17年)7月から9月 |
君命召、不俟駕行矣。
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〔 読み下し 〕 |
君命じて召せば、駕を俟たずして行く。
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〔 通釈 〕 |
主君から急な呼び出しがあった時は、馬車の支度を待たず直ちに歩いて出かけた。
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〔 解説 〕 |
馬車の支度を待って出発したのでは、遅くなってしまいますから、時間のロスを防ぐ為に、まず徒歩で行き、馬車が追いついた所で乗ったのでしょう。
時間で思い出したのですが、会合があると決まって5〜6分遅れて来る人がいる。たまになら何かの都合で遅れたのだろう?と、それなりに納得できるのですが、毎回、それも時計で計ったかのように必ず5〜6分遅れて来る。
この人を良く知る人物に、「あの人は分刻みで仕事をしているのか?」と聞けば、「至って暇な人である!」と云う。「じゃあ何でいつも版で押したように遅刻して来るのだろう?」と重ねて問うと、「わざと勿体振って(尊大ぶって)遅れて行くのさ」との答え。
「毎度毎度遅刻するようでは、尊大どころか、時間にルーズなダメ人間と見られるではないか!?」と云ったら、「そうなんだよ!どういう訳かそこに気がつかないんだね。バカなんですよ」との返事でありました。
時間の約束を守れない人は、それだけでバカだってことが分からないんだね。忙しい人程時間の約束はきちんと守る。時間の大切さを知っていますから。逆に、暇な人程時間にルーズ。時間などいくらでもあると思っている。こういう人に仕事は頼めませんね。
昔から、「仕事を頼むなら忙しい人に頼め!」と云いますが、忙しい人程時間の約束をきちんと守るからなんです。暇な人に頼んだら、いつ仕上がって来るのかアテになりません、ルーズですから。皆さんの周りにもいるでしょう?こういう人が。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
殿様から急な呼び出しがあると、馬車の準備を待たず、足早でお城に向かった。途中で馬車が追いつくと、これに乗って急行した。孔子様は時間を大切にされた。
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〔 親御さんへ 〕 |
せっかちと時間を大切にすることとは違います。時間を大切にする人は、常に余裕があると云うかゆったりとして、周りに安心感を与える。せっかちな人は、セカセカ・ソワソワ・イライラとして、周りに不快感を与える。時間を大切にするとは別の言い方をすると、「今この時を大切にする」ということなんですね。今この時を大切にする人は、安心して付き合えます。未来の種は今この時にしかないのですから、こういう人は必ず大成します。
一方、未来志向は良いのですが、今この時を粗末にして、未来ばかり追いかけてみても、宝くじに当たるようなもので、殆ど空振りに終わってしまうんですね。若い頃はここが分からなくて、これがダメならあれがある!あれがダメならそれがある!!と目移りして中々腰が定まらんものですが、四十過ぎてもまだこれがダメならあれがある!とやっているようでは、ちょっと見込みがないね。未来未来といった所で、所詮は今の積み重ね、今の連続でしかないんですよ。過程をすっ飛ばして、いきなり結果が出るなんてことはないんです!
えっ?ならば過去は何なのか、ですって?過去は、過ぎてしまった今!悔やんでみても始まらんのですよ。過去は学ぶ為にあるんです。悔やむ為にあるのではありません!持ち越し苦労も取り越し苦労も、程々にしたら良い。
イエスも云っているではないですか、「だから明日のことを思い煩うな。明日は明日自身が思い煩ってくれる。今日は今日一日の苦しみでもう十分である」と。思うに、人生の成功者とは、今この時・今日一日を大切に精一杯生き切った人のことを云うのではないでしょうか?現代人は、取り越し苦労のし過ぎじゃないのかね?
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