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原文
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作成日 2005年(平成17年)3月から6月 |
子曰、三軍可奪帥也。匹夫不可奪志也。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、三軍も帥を奪うべきなり。匹夫も志を奪うべからざるなり。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「三軍(大軍)の総大将でも、奪おうと思えば捕虜にすることができる。しかし、たった一人の平凡な男でも、その志迄奪い取ることはできないものだ」と。
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〔 解説 〕 |
志とは面白い文字で、「士(し)」は「之(し・ゆく)」の形声(同じ発音の文字を借りる)で、これに「心」を加えて、心が目標に向かって進んで行くの意となる、とあります。つまり「志」とは、心の方向性・心の向かうところを示す言葉ということですね。形声文字ではなく、会意文字(意味を合わせた文字)として解釈しても面白いのではないでしょうか?志=士(さむらい)+心=士(さむらい)のような固い決意となりますから。(勿論私の勝手な解釈に過ぎませんが)
どんな志を持つか?は、各人の自由意志に委ねられておって、誰も侵すことはできませんが、権利には義務が自由には責任が伴いますから、どんな志を持つにしても責任は自分で負わなければなりません。即ち、何を思い、どんな方向に心を向けようと本人の自由だけれども、思いが状況を引き寄せますから、どんな状況になろうが「それはあなたの自己責任ですよ」ということです。
そんな責任を負うのはまっぴらご免!だから志をもつことなどやめておこう・・・・、ですって?残念ながら、そうは問屋が卸しません。あなたが今世生まれて来る前に、あなたの魂は既に「今回はこういう課題に取り組もう!こういうことで人様のお役に立とう!」と、はっきりと志を立てて生まれて来たのですからね。逃げられないんですよ。
生まれる前に立てて来る志のことを、別名「使命」と云うんです。ですから、この世に生まれて来る人は一人の例外もなく、なんらかの使命を負って来るんですね。あと何十年かすれば全員があの世に帰りますが、その時、生まれる前に立てた志の宣誓書と、今世のあなたの人生の成果を照合させられることになります。さてどうなりますか?楽しみですね。ぴたりと一致していればいいのですが、大外れだったりしたら・・・、あの暗くて・寒くて・臭い所で後悔の日々を過ごすことになるのでしょうか?・・・・・。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「どんなに強い軍隊の隊長でも、つかまえて体をしばりあげることはできる。しかし、どんなにか弱い人間であっても、その人の心をしばりあげることはできないね」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
どんな独裁者でも、体の自由を奪うことはできても心の自由を奪うことはできません。自己決定権を剥奪された奴隷であっても、思いの自由まで剥奪することはできません。自分の子供と雖も同様です。親の思い通りにはならんものです。
しかし、思い通りにはならんが、影響を与えることはできる。これを「感化」と云います。子供は感化され易い生きものです、良い方にも悪い方にも。子供の家庭教育には二つの側面がありまして、一つは「形」から入る躾、今一つは「心」から入る感化、この二つはコインの裏表です。躾は、言行を調教する為の教育、感化は自由意志を調教する為の教育、と考えて良いでしょう。
子供は見ていないようでちゃ〜んと観察しているんですよ、親の言行を。云うこととやることを。そこから親の心の状態(意(い))を感じ取っているんですね、心の状態は必ず言葉(口(く))と行為(身(しん))に現われますから。子供に感化を与える最大のものは、親の普段の言行、つまり、心の状態(意識)が現われ出た言葉と行為です。
ですから、真っ当で立派な子供に育って欲しかったら、まず親が真っ当な意識・気高い意識(心の状態)を持ち続けることです。会社で云えば、真っ当な会社立派な会社にしたかったら、まずトップ・役員が、真っ当な意識・気高い意識を持ち続けることですね。親が邪な意識・卑しい意識を持ち続けていれば、必然的に子供はそのようになるし、トップ・役員が邪な意識・卑しい意識を持ち続けていれば、必然的に会社はおかしくなる。当たり前と云えば当たり前ですね。
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