子罕第九 233

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原文             作成日 2005年(平成17年)3月から6月
子曰、主忠信、無友不如己者、過則勿憚改。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、忠信(ちゅうしん)(しゅ)とし、(おのれ)()かざる(もの)(とも)とすること(なか)れ。(あやま)てば(すなわ)(あらた)むるに(はばか)ること(なか)れ。
 
〔 通釈 〕
学而第一8章後段重出、その項を見よ。
 
〔 解説 〕

学而第一8章後段と重複する文章ですが、編者が敢えてここに同一文章を持って来た理由として、二つのことが考えられます。

  一は、孔子は「過てば則ち改むるに憚ること勿れ」と弟子達によく云って
              いたのではないか?

  二は、前章の結語「説(よろこ)びて繹(たず)ねず、従いて改めずんば、
              吾之を如何ともするなきのみ」の関連文として入れたのではないか?

つまり、連続するこの二章を以て、反省−改過を強く訴えたかったのではないか?論語は
孔子の孫弟子筋によって、最初に編集が始められたと云われますが、世間で云われるように確かに雑纂ではあるけれど、編者達の苦心の跡がそこここにうかがえます。編者の苦心を察してみるのも、論語を読む楽しみの一つではないでしょうか。
 

〔 子供論語  意訳 〕
学而第一8章の後段と重複しておりますので、そちらをご覧下さい。
 
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