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原文
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作成日 2005年(平成17年)3月から6月 |
子欲居九夷。或曰陋如之何。子曰、君子居之、何陋之有。
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〔 読み下し 〕 |
子、九夷に居らんと欲す。或ひと日わく、陋しきこと之を如何せん。子日わく、君子之に居らば、何の陋しきか之有らん。
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〔 通釈 〕 |
孔子がある時、東方の夷(えびす)の国に移住してみたいと云った。これを聞いたある人が、「夷の国と云えば、未開でむさ苦しい所と聞いておりますが、これをどうなさいますか?」と問うた。これに対して孔子は、「君子が行って住むようになれば、周囲の人もこれに感化されて風俗は自然に良くなるものだ。何のむさ苦しいことなどあろうか」と云った。
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〔 解説 〕 |
中華思想(中国が世界の文化・政治の中心であり、他に優越するという思想)は周代始まるとされておりまして、中原(ちゅうげん・黄河中下流域)に住む漢民族以外は皆未開の野蛮人とされていた。
異民族を東西南北に分けて、東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・南蛮(なんばん)・北狄(ほくてき)と称し、これら四夷を漢民族の徳化によって文明国にしてやろう、というのが中華思想の骨子でありますが、この思想は現代でも引き継がれておりまして、中国人特有のプライドと世界観を形成している。(現在の中国には、漢民族は一人もいない筈ですが)
ただこのプライドも、漢民族の優位が確保されている限りに於いては、寛容で開放的な博愛主義となって現われるのですが、一度優位が否定された場合には、現実を認めることを頑なに拒み続け、偏狭な排他主義となる。これは今に始まったことではなく、二千年前から変わっておりません。
漢民族は後漢から魏晋にかけて絶滅しておりまして、現在中国に住んでいる人達は、漢民族とは別の人種であることが遺骨のDNA鑑定によって科学的に分かっています。(これは現在の民族学では常識になっているそうです)同じ中国大陸に住んでいるとは云っても、今居るのは孔子の時代とは違った民族であるということを知っておいて損はないでしょう。
後漢から魏晋にかけて、5千万人いた人口が10分の1の五百万人に減ったと云われておりますから、北方民族の鮮卑(せんぴ)と猛烈に混血を繰り返して、人口を増やして行ったのではないでしょうか。隨の王朝も唐の王朝も、漢人ではなく鮮卑の建てた王朝です。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がある時、どこか未開の国に行って住みたいものだとおっしゃった。これを聞いた弟子の一人が、「未開の国では人々が野蛮で、むさ苦しい所だと聞いておりますが、大丈夫でしょうか?」と質問した。これに対して孔子様は、「大丈夫!君達が一緒にいてくれれば、何の心配もいらない。どこに行こうと人間の真心は通じるものだ」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
衛霊公第十五で子張が、どうしたら自分の云うことが通るようになるかを問うた際、孔子は「言忠信、行篤敬なれば、蠻貊(ばんばく)の邦と雖も行なわれん。言忠信ならず、行篤敬ならざれば、州里と雖も行なわれんや」と答えている。
つまり、「常日頃云うことが誠実で、やることが真面目であったなら、どんなに未開で野蛮な国に行ったとしても、必ず正論が通るようになる。逆に、普段の発言がいい加減で、行ないがデタラメであったなら、たとえ正論であったとしても、最も身近な生まれ故郷でさえ通用しない」ということですね。
肝腎要の時に物を云うのは肩書きではない。学歴でもない、収入でもない、普段の言行です。何故ならば、その人の人物を涵養するのは、普段の想いと言葉と行ないだからですね。想いは見えず聞こえずですが、言葉は聞こえるし行ないは見える。だから普段の言葉と行ないから、その人の想いを類推して、人物を判断している訳です。
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