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原文
〕 作成日 2005年(平成17年)3月から6月 |
子絶四。毋意、毋必、毋固、毋我。
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〔 読み下し 〕 |
子四を絶つ。意母く、必母く、固母く、我母し。
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〔 通釈 〕 |
孔子は四つの執着を断ち切って、あの円満な性格をつくり上げて行ったのである。四つの執着とは、一に私心、
二に必遂(ひっつい)、 三に頑固、 四に我執がそれである。
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〔 解説 〕 |
孔子がいつ頃四つの執着を克服したのかはっきりとしませんが、「四十にして惑わず」とありますから、恐らく四十才頃に漸く断ち切れた、フッ切れたのではないかと思います。ということは、それ迄はこれらの執着に振り回され悩まされていたということです。こういうことをちゃんと記録している所が、仏典や聖書には見られない論語の面白さの一つですね。
仏典や聖書では、釈迦やイエスは完全に無謬化(むびゅう)・神聖化されていますが、論語では孔子は無謬化も神聖化もされていない、素顔がそのまま伝えられている。では孔子はどのようにして四つの執着を克服して行ったのか?具体的には何も記されておりませんが、言葉の配列からそれとなく窺い知ることができるようになっている。編者はかなり神経を使ったのではないかと思います。
孔子は三十の時に初めて老子に会い、「子の驕気と多欲と態色と淫志とを去れ!」と指摘されて以来、自らの性格上の欠点、私利私欲から来る「私心」・何が何でも必ずやり遂げようとする「必遂」・自分の考えに凝り固まる「頑固」・我を通そうとする「我執」を何とか克服しなければと思うものの、ふと気が付けば意・必・固・我にがんじがらめにされている自分がいつもそこにいる。
ある時孔子は、これらの感情は単独バラバラに起こるものではなく、一つの感情が起こるとそれに触発されて次々と連鎖反応が起きることに気が付いた。
私心が起こると
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必ず思い通りやり遂げずんばあらずの念が起こり
⇒
これに凝り固まって頑固になり
⇒ 我を通そうとする
⇒
これが更に私心を増幅し
⇒ 愈々(いよいよ)必遂の念止まず
⇒
益々頑固になり
⇒ 一層の我執を生む・・・・・。
まあ「執着の循環(サークル)」に気が付いたのではないでしょうか。ならばすべての元たる私心を取り除いてしまえば、次の反応は起こらない筈だ!「元から断ってしまえ!」・・・。意母く→必母く→固母く→我母しと徐々に克服して、何事にも執着しない円満な性格を十年かかってつくり上げて行った。
以前京セラの稲盛さんが動機の善悪を自らに問う「動機は善なりや?私心なかりしか!?」という言葉を紹介しましたが、孔子は若い頃これを自らに問うて己を矯め直して行ったんですね。人は変われる!性格は変えられるんですよ。何の衒(てら)いもないサラッとした文章ですが、これを残してくれた編者に感謝すべきですね、後世の読者は。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様は若い頃、うぬぼれ屋で欲張りで頑固で強情な性格であったが、三十才の時、老子様に「それじゃあいつまでたっても立派な人物になれないぞ!」と注意されてから自己改造に取り組み、謙虚で・控えめで・素直で・相手を思いやる性格に変わって行った。人は変われる!性格は変えられる!!人間どこまで大きな人物になれるか?は、本人の努力と心掛けしだいなんだね。
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〔 親御さんへ 〕 |
テキスト仮名論語のこの部分に棒線が引いてあり、「人は変われる!」と書き込みがありましたので、いつ頃どんな時に線を引き書き込みしたものだろうか?と奥付けを見ましたら、発行日が平成元年十月十日となっておりました。
十七年前というと丁度私が四十才の時で、やること為すことすべてうまく行かず、心臓喘息を患って不整脈で苦しみ悶えていた時期であったことを思い出しました。70kgあった体重が、一ヶ月で59kgに減ったのもこの時期でした。運良く自暴自棄に陥らずに済んだのは、論語のこの章に出会えたお陰でしょうか。
「元は己にある!己の心ある!!人は変われる!己を変えよう!!」と自分に言い聞かせ棒線を引いたものでしょう。意なく→必なく→固なく→我なし!簡単ではないけれど人は変われます。人は自ら変わることを止めた時、身も心も強張り、棺桶行きとなる生きもののようですね。
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