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原文
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作成日 2005年(平成17年)3月から6月 |
子曰、麻冕禮也。今也純儉。吾從衆。拜下禮也。今拜乎上泰也。雖違衆、
吾從下。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、麻冕は礼なり。今や純なるは倹なり。吾は衆に従わん。下に拝するは礼なり。今上に拝するは泰れるなり。衆に違うと雖も、吾は下に従わん。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「麻の冠が古来からの礼装であるが、養蚕が発明されてから、今では絹が一般的になった。これは手間暇が省けて経費を節約できるから、私は皆のやり方に賛成したい。
下臣は堂下で主君に拝礼するのが古来からの正式な礼儀であるが、今では手間を省いて主君と同じ堂上で拝礼するようになった。これは泰(おご)った態度であるから、皆のやり方に賛成できない。時代遅れと云われようとも、私は古来からの礼儀に従って堂下で拝礼するつもりだ」と。
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〔 解説 〕 |
孔子は何が何でも昔からのしきたりを守れ!というような野暮ではありません。道理に叶えば従い、道理に違えば改める、物事に固執しない非常に柔軟な発想の持ち主だったようで、真の意味での「合理主義者」だったのでしょう。
ただ、必ずしも生れつきそういう性格ではなかったようで、滑ったり転んだりしながら自らを矯め直し、鍛え上げて行った様子が次章で語られております。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「昔は麻の冠が流行していたが、作るのに手間暇がかかって大変高価であった。今は絹の冠が流行っている。これは養蚕と機織の技術が発達したおかげでムダが省け、安価で高品質の冠が手に入るようになったからである。私もこれをまねて絹の冠に変えた。又、昔は殿様におじぎをする時は下の階から上を仰ぎ見るようにしたものだが、今は面倒くさがって同じ階で並んでおじぎをするようになった。これは家来として大変無礼なことであるから、私はまねる訳にはいかない。古くさいといわれるかも知れないが、私は昔のやり方でやる」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
養蚕がいつ頃誰によって発明されたのか定かではありませんが、孔子の頃、麻よりも絹の方が安かったとありますから、既に養蚕が盛んで絹織物の技術もかなり進んでいたのでしょう。
道理に叶っていることを「合理」と申します。これに「化(ばける)」が加わって合理化となると、良い意味ではムリ・ムダ・ムラを省き効率化する意となり、悪い意味ではもっともらしい理由をつけた自己正当化・所謂「ごまかし」の意となる。
孔子が麻の冠を絹製に変えたのは前者の合理化、堂上で主君と並んでおじぎをするのは後者の合理化ということですね。企業経営でも、合理化する際には、本当に道理に叶ったことなのか否か?を充分吟味してから取り組まないと、とんでもないことになってしまいます。
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