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原文
〕 作成日 2004年(平成16年)11月から2005年(平成17年)2月 |
子曰、學如不及、猶恐失之。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、学は及ばざるが如くするも、猶之を失わんことを恐る。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「学問というものは、どれ程やっても追い着けなくて、もうこれで良い!ということのないものであるが、やり続けているうちに目的と手段がすり替わっていないか?本末転倒してはいまいか?と、常に気にかかるものである」と。
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〔 解説 〕 |
何度も述べて来たことですが、学問の目的は「真理を探求し、究明し、人類進化に役立てる」ことにあります。
人類進化に役立てるとなれば、「そもそも人とは一体何ぞや?進化とは一体何ぞや?」を究明しなければならなくなる。人とは何ぞや?進化とは何ぞや?を究明するとなれば長年そういうことを研究している師につくか、或は先人の研究結果を文献に求めることになる。
師につくにしても文献に求めるにしても、聴いて分かり読んで分かるだけの理解力と思考力が要る。理解力・思考力を身につけるには、それ相応の知識と経験の蓄積が必要となる。知識と経験を蓄積するには、読み・書き・計算等の基礎的学力と、生きて行動する為の基礎的体力が要る。195章で紹介した元服迄の児童教育が、この基礎の部分に当るでしょうか。
孔子は「十有五にして学に志し、三十にして立ち」とありますから、五〜六才で読み書き計算を習い初め、十五才で学問の道を志してから三十で一通りの研究成果を得る迄に、延べ25年の勉学期間を要している。それから愈々本格的な真理探求の道に入ろうと、自信満々で老子を尋ねた所、パシッと鼻柱をへし折られてしまった「子の驕気と多欲と態色と淫志を去れ!」と。恐らくこの時、学問の目的と手段がすり替わりそうになっていたのではないでしょうか?そこを見抜いた老子にパシッと指摘された。
この時の教訓が余程効いたのでしょう、「目的と手段がすり替わっていないか?本末転倒してはいないか?」と終生自省自戒するようになる。偉大な孔子教学が、孔子のこの真面目でひたむきな姿勢によって成ったんですね。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「勉強はいくらやってももうこれでいい!ということはないが、だからといってだらだらと長時間やればいいというものでもない。今週はここまで、今日はここまでと、目標と時間割を決めてやりなさい」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
未だ解明されざるものごとの真の姿(実相・真理)を探求し、究明(追究・解明)することを本来の学問と云います。既に解明されていることを学ぶのは、学問とは云わず勉強と云うんですね。ですから、勉強には既に答えがあるけれども、学問にはまだ答えがない、いつ答えが出るかも分からない、一生かかっても出ないかも知れない、食って行けないかも知れない。それでも学問の道を志すというのは、並大抵のことではありません。ある意味で「野垂れ死に」覚悟でやる訳ですからね。
今なら大学院に行って研究室に残るという手もありますが、担当教授の学説に異論を唱えたりしたら、喩えそれがどんなに素晴らしい発見であっても、立ち所にクビになってしまいます。教授としては自分の学説に従順な研究生ほど可愛いいでしょうからね。日本の大学、特に人文科学系の学問研究が一向にはかばかしくないのは、こんな所に原因があるのかも知れません。
本来のアカデミーなら、異説・新説に挑戦する進取の気性に富んだ研究生こそ面倒を見てやらねばならんのに、これを追い出して、従順で退嬰的な者ばかり残すんですから。「出藍の誉れ」を喜ぶのが本物の師でしょう。自然科学系でこんなことをやっていたら、他の大学に陶汰されてしまいます。まあ、日本の大学の体質を昔の軍隊に喩えてみれば、人文科学系は旧陸軍、自然科学系は旧海軍といった所でしょうか?
孔子の時代、学問の道に志すなどというのは、それこそ野垂れ死に覚悟の命懸けのことだったようで、199章で「三年学びて穀に至らざるは、得易からざるなり。(三年間
学問をして、それでも仕官にあくせくとしない篤学の人物は、このご時世にはそう滅多にいるものではない)」と云っている。
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