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原文
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作成日 2004年(平成16年)7月から11月 |
子曰、天生徳於予、桓魋其如予何。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、天徳を予に生ぜり。桓魋其れ予を如何にせん。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う「天から救世の使命を授かっている私だ。桓魋ごときに何の手出しができようか!」と。
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〔 解説 〕 |
これは普段の孔子には見られない激しい口調です。一体何があったのでしょうか?「史記」孔子世家では、次のように伝えています。
『孔子は曹を立ち去ると宋の国に向かった。その途中大きな木の下で弟子達に礼法の練習をさせていたころ、宋の司馬(軍務大臣)桓魋は孔子を殺そうとして、その樹を根こそぎにした。身の危険を感じた弟子達が「急いで去りましょう!」と云った際に、孔子がこの言葉を発した』と。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様一行が、旅の途中宋という国にさしかかり、大木の下で勉強会を行なっていた。そこに宋の陸軍大将、桓魋という者が孔子様を殺そうと斬りかかって来た。ひらりと身をかわした孔子様は、「何をする!私を孔丘(孔子の名)と知っての狼藉か!?天から重大な使命を授かっている私だ。きさまらごときにこの私が斬れるか!!」と一喝した。桓魋がひるんだすきに、一行は足早に逃げた。逃げる途中離れ離れになったものの、全員が無事であった。
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〔 親御さんへ 〕 |
孔子は14年間の亡命中に何度か殺されそうになりましたが、その都度凛然たる態度を示して難を逃れています。余程肝っ玉が坐っていたんですね!
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