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原文
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作成日 2004年(平成16年)7月から11月 |
子在齊聞韶。三月不知肉味。曰、不圖爲樂之至於斯也。
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〔 読み下し 〕 |
子、斉に在りて韶を聞く。三月、肉の味を知らず。日わく、図らざりき、楽を為すことの斯に至らんとは。
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〔 通釈 〕 |
孔子が斉に滞在していた時、韶の音楽を聞いて三ヶ月これを学んだ。その間韶の音楽のあまりの美しさに感激して、肉を食べてもその味が分からない程度であった。そして「う〜む!音楽がこれほど迄に美しいものであるとは、思いもよらなかった!!」と云った。
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〔 解説 〕 |
孔子35才頃の出来事。韶とは、聖天子舜の人徳を称えて作曲された管弦楽曲。八佾第三では、「美を尽くせり、又善を尽くせり」と評しております。一体どんな曲だったのか聞いてみたい所ですが、残念ながら伝わっておりません。モーツァルトの華麗さと、ハイドンの軽快さと、マーラーの玄妙さと、ヘンデルの優雅さと、バッハの荘重さを併せもったような曲だったのかも知れませんね。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様が斉の国におられた時、韶という交響曲を聞いて感激し、三ヶ月間これを学んだが、この間一心不乱に打ち込んで、何を食べても味が分からないほどであった。そして一応マスターすると、「う〜む!音楽がこれほど美しく作曲できるとは知らなかったよ」とおっしゃった。
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〔 親御さんへ 〕 |
韶とは、聖天子舜の音楽とされ、帝舜といえば四千年以上前の人物ですが、揚子江流域ではこの頃既に陶器が使用されていたと云いますから、かなり高い文化を持っていたようです。韶は管弦楽曲で、多くの楽器を使いますから、それらを作る技術もあったのでしょう。
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