述而第七 153

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原文                  作成日 2004年(平成16年)7月から11月
子曰、徳之不脩、學之不講、聞義不能徙、不善不能改、是吾憂也。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(とく)(おさ)まらざる、(がく)(こう)ぜざる、()()きて(うつ)(あた)わざる、不善(ふぜん)(あらた)むる(あた)わざる、()()(うれい)なり。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「徳が身につかないこと、学問が進まないこと、正しいことを聞きながら実行に移せないこと、善からぬことと知りながら改めることができないこと、この四つが私の憂える所である」と。
 
〔 解説 〕

大聖孔子にしてこのような憂いがあったとは。孔子にこんなことを云われたら、周りにいた弟子達はどう返事をしてよいか、「そうですね」も云えないし、「ご謙遜を」とも云えないし、身の縮む思いがしたのではないでしょうか。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「素直(すなお)気持(きもち)(ひと)(せっ)すること。一所懸命(いっしょけんめい)勉学(べんがく)(はげ)むこと。(ただ)しいことを()いたらすぐさま実行(じっこう)(うつ)すこと。(わる)いところを(あらた)めること。この(よっ)つを日々(ひび)(こころ)()けなさい」と。
 
〔 親御さんへ 〕
こんなこと当たり前じゃないか?と思われるかも知れませんが、これができたら達人、人間卒業なんですね。これができないから、何百回も何千回も人間やらされているんですよ、生まれ変わって。当たり前のことを当たり前にやるのが、実は一番難しいんですね。
 
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