雍也第六 149

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原文                   作成日 2004年(平成16年)4月から7月
子曰、中庸之徳也、其至矣乎。民鮮久矣。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、中庸(ちゅうよう)(とく)たるや、()(いた)れるかな。(たみ)(すくな)きこと(ひさ)し。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「中庸の徳というものは、人として至高のものである。この徳が人々の間で廃れてしまってから久しくなる。残念なことだ」と。
 
〔 解説 〕

論語開眼でも申しました通り、中庸とは「ニュートラルなハイブリット進化論」のことでありますが、その中庸の徳には二つのポイントがある。一つは「不偏・不倚(ふい)・過不及無し」つまり、偏らず・倚(よ)りかからず・過ぎる事なく・及ばぬ事もなく、中正(ニュートラル)を得ること。極端を避けること。今一つは、相対立するものを混成(ハイブリット)し、統一止揚して、より高い次元に持って行くこと。大調和をはかりながら、無限に進化して行くこと。

2500年前にこの徳は廃れてしまった、と、孔子は云っておりますが、以後ず〜っと廃れっ放しなのかと云うと、どうもそうではないようでありまして、中国では宋代に朱子が出、明代に王陽明が出て中庸ルネッサンスをやっている。

ドイツでも、近代にカントが出、ヘーゲルが
出て中庸ルネッサンスをやっている。日本では江戸時代に伊藤仁斎が出、昭和に安岡正篤が出て中庸ルネッサンスをやっている。

当会の活動も、後世の人達が見たら「平成の中庸ルネッサンス」と位置付けるのかも知れませんね。皆さんしっかりしないといけませんよ!いつ迄もお客様気分でいてはいけません!学問の目的は、一に真理を探求し、二に不明な所を解明し、三に実践を通じて世の中の為になり役に立つこと!にあるのですからね。
 

〔 子供論語  意訳 〕

孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「君達(きみたち)は、極端(きょくたん)なことに(かたよ)らないようよく注意(ちゅうい)しなさい。極端(きょくたん)なことは()()って、一見(いっけん)(おも)(しろ)そうに()えるけれども、(かたよ)れば偏る(かたよ)ほどバランスを(くず)して、(たお)(やす)くなるんだよ。真中(まんなか)()てば、どっしりとして安定(あんてい)して(たお)れることはない。やじろべいのようにね」と。
 

〔 親御さんへ 〕
小学生の頃、工作か何かの時間に、どんぐりと竹ひごで「やじろべえ」を作らされた思い出がありますが、その際に、どうして倒れないのか?不思議に思って先生に質問しますと、「重心が支点よりも下にあるからだ」と教えられて、分かったような分からないような気がした覚えがあります。

要はバランスが取れているから倒れない訳ですが、子供達に「中庸」の真意を理解させるのは、極めて難しいのではないかと思います。「中庸ってなあに?」と聞かれたら、「やじろべえのようにバランスが取れていることを云うんだよ!」と教えてあげたらいかがでしょうか。

小3の孫が、「フーン、そうなんだ!?」と云っておりましたから、小学生にはこの説明で良いのではないかと思います。詳しい意味を説明するのは、中学生になってからでも遅くはないで1しょう。
 
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