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原文
〕 作成日 2004年(平成16年)2月から3月 |
子曰、孰謂微生高直。或乞醯焉。乞諸其鄰而與之。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、孰か微生高を直なりと謂うや。或るひと醯を乞う。諸を其の鄰に乞うて之を与う。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「誰が一体あの微生高を馬鹿正直者だなどと云うのかね。ある人が微生高に醯をもらいに行ったら、自分の家にはなかったので、隣の家からもらって来て与えたというではないか。馬鹿正直どころか、中々どうしてちゃっかりしているわい」と。
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〔 解説 〕 |
「荘子(そうじ)」に尾生高(微生高)の逸話が載っておりまして、馬鹿正直者で通っていたようですが、孔子はちょっと茶化してみたかったようです。どんな話しかと云うと、「ある時、正直者の尾生高が女と橋の下でデートする約束をした。ところが女が来ないうちに、急に川の水かさが増して来たけれど、尾生高はそこを動かずじっと待っていた為、溺れ死んでしまった」というものです。罪作りな女もいたものです。否、逃げなかった微生高がやっぱり馬鹿だったんでしょうな。微生高の生まれ変わりのような人、私の知り合いにいます、名前は云いませんが。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「誰が一体あの微生高を気転のきかない正直者だなどというのだろうか。ある人が酢をもらいに行ったら
、あいにく切らしていたので、隣の家からもらって来て、何食わぬ顔で『さあどうぞ!』と与えたそうな。気転がきかないどころか、ちゃっかりしているではないか」と冗談を云われた。
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〔 親御さんへ 〕 |
孔子を、道徳の干物か倫理の化石のような堅物と思ったら、大間違いです。弟子達の前では、結構冗談を飛ばしているんですね。99章では「筏に乗って海外旅行をしてみよう」と云ったり、この章では微生高を茶化してみたりと、ちゃんとユーモアのセンスもある。孔子は、酒も飲むし歌も歌う、グルメでもあるしオシャレでもあった。(郷党第十を見よ)
生涯を徹底した禁欲主義で通した釈迦には、何となく近寄り難いものを感じますが、普通の人と同じ俗世で苦労しながら必死に生きた「人間孔子」には、何とも云えない魅力と云うか、親近感を感じますね。尚、朱子はこの章を「隣からもらった酢を与えて恩を売る微生高の曲がった行為を、孔子が譏(そし)ったのだ」としておりますが、考え過ぎでしょう。孔子はそんなチンケな人間じゃあないよ。
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