公冶長第五 116

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原文         作成日 2004年(平成16年)2月から3月
子曰、孰謂微生高直。或乞醯焉。乞諸其鄰而與之。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(たれ)()(せい)(こう)(ちょく)なりと()うや。(ある)るひと()()う。(これ)()(となり)()うて(これ)(あた)う。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「誰が一体あの微生高を馬鹿正直者だなどと云うのかね。ある人が微生高に醯をもらいに行ったら、自分の家にはなかったので、隣の家からもらって来て与えたというではないか。馬鹿正直どころか、中々どうしてちゃっかりしているわい」と。
 
〔 解説 〕

「荘子(そうじ)」に尾生高(微生高)の逸話が載っておりまして、馬鹿正直者で通っていたようですが、孔子はちょっと茶化してみたかったようです。どんな話しかと云うと、「ある時、正直者の尾生高が女と橋の下でデートする約束をした。ところが女が来ないうちに、急に川の水かさが増して来たけれど、尾生高はそこを動かずじっと待っていた為、溺れ死んでしまった」というものです。罪作りな女もいたものです。否、逃げなかった微生高がやっぱり馬鹿だったんでしょうな。微生高の生まれ変わりのような人、私の知り合いにいます、名前は云いませんが。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「(だれ)一体(いったい)あの微生(びこう)(せい)気転(きてん)のきかない正直者(しょうじきもの)だなどというのだろうか。ある(ひと)()をもらいに()ったら 、あいにく()らしていたので、(となり)(いえ)からもらって()て、(なに)()わぬ(かお)で『さあどうぞ!』と(あた)えたそうな。気転(きてん)がきかないどころか、ちゃっかりしているではないか」と冗談(じょうだん)()われた。
 
〔 親御さんへ 〕
孔子を、道徳の干物か倫理の化石のような堅物と思ったら、大間違いです。弟子達の前では、結構冗談を飛ばしているんですね。99章では「筏に乗って海外旅行をしてみよう」と云ったり、この章では微生高を茶化してみたりと、ちゃんとユーモアのセンスもある。孔子は、酒も飲むし歌も歌う、グルメでもあるしオシャレでもあった。(郷党第十を見よ)
 
生涯を徹底した禁欲主義で通した釈迦には、何となく近寄り難いものを感じますが、普通の人と同じ俗世で苦労しながら必死に生きた「人間孔子」には、何とも云えない魅力と云うか、親近感を感じますね。尚、朱子はこの章を「隣からもらった酢を与えて恩を売る微生高の曲がった行為を、孔子が譏(そし)ったのだ」としておりますが、考え過ぎでしょう。孔子はそんなチンケな人間じゃあないよ。
 
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