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原文
〕 作成日 2004年(平成16年)2月から3月 |
子曰、伯夷叔齊、不念舊惡。怨是用希。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、伯夷・叔斉は、旧悪を念わず。怨是を用て希なり。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「伯夷と叔斉は潔癖な人であったが、罪を憎んでも人を憎むような人ではなかった。だから、人を怨んだり人から怨まれたりするようなことは、殆どなかったようだ」と。
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〔 解説 〕 |
伯夷(兄)・叔斉(弟)はBC1100年頃の人で、二人とも清廉潔白な人物であったと云われる。二人は孤竹国の公子であった。父は弟の叔斉に後を継がせようとしたが、叔斉は兄の伯夷に譲ろうとし、兄も又弟に譲ろうと互いに譲り合い、遂には二人とも公子の身分を捨ててしまった。
彼らは文王を慕って周に行く途中、武王が殷の紂王を伐つ計画を知り、これを不義として武王を諫めるが聞き入れられなかった。武王が紂王を伐ち天下が周の治世となった際、たとえ紂が暴君とは云え、下臣である武が君を誅する事は不義であるとして、周の粟(ぞく)(食料)を食らうことを潔しとせず、首陽山に隠れ、わらびを採って飢えしのぐが餓死してしまう。
伯夷と叔斉の哀れな最期を詠んだ江戸時代の川柳に、「ひからびた 死骸があると わらびとり」というものがあります。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「伯夷と叔斉は曲がったことが大嫌いな兄弟であったが、かと云って、罪を憎んでも人を憎むような人達ではなかった。人を怨むことのない心の広い人達だったようだね」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
潔癖性の人は不義や不正を憎むあまり、人を許すということが中々出来ないようです。「不正は断じて許せない!」とする気持は結構ですが、これが昂ずると、人を裁かなければ気が済まなくなって来る。どうもここが潔癖症の人を待ち構えている落とし穴のようですが、人を裁けるような人間などいないんですね。人を裁こうとする気持が起きた時は、伯夷と叔斉を思い出して「罪を憎んで人を憎まず!」と、肝に銘じたらいいでしょう。
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