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原文
〕 作成日 2004年(平成16年)2月から3月 |
子曰、臧文仲、居蔡、山節、藻梲、何如其知也。
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〔 読み下し 〕 |
子曰わく、臧文仲、蔡を居く、節を山にし、梲を藻にす。何如ぞ其れ知ならん。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「魯の大夫臧文仲は、諸侯の真似をして占い用の亀甲を所有していた。更には天子の真似までして家の柱の桝形に山を彫刻し、梁の上の棟木(むなぎ)を支える小柱[卯建(うだつ)]に藻文(からくさ)模様を描いておった。知者であったと伝えられておるが、どうして知者などと伝えようか」と。
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〔 解説 〕 |
臧文仲 姓は臧孫(ぞうそん) 名は辰(しん) 字は仲、文は諡。孔子より百年程前の人で、魯の大夫として50年近くその要職にあった。孔子はこの人に対してはかなり手厳しい批評を加えておりまして、衛霊公第十五では「臧文仲は其の位を竊(ぬす)む者か」と云って、賢人を登用せず高位をほしいままにしていたことを、厳しく批判している。
しかし、左伝僖公二十一年の条を見ますと、「この年の夏に大早魃があった。そこで僖公は雨乞いをさせた祈祷師を焼き殺そうとした。すると大夫の臧文仲が『そんなことをしても早魃を防ぐ備えにはなりません。飢えに苦しむ難民を救済する為に、内城や外城の補修工事を興して難民を使役し、贅沢なものは食べず節約し、農事を盛んにし、互いに物を分けあう事をすすめることが、この際行うべき務めでありましょう。祈祷師などがどうして早魃を起こせましょう。もし彼らに早魃を起こす力があるとしたら、焼き殺してしまったら一層早魃がひどくなる筈です』と云って諌めたので、僖公はその諌言に従った。
この年は凶作であったが、民を害する事にはならなかった」とありまして、中々立派な人物であったように見受けられますが、どうして孔子はこの人に対して手厳しい批判を加えているのでしょうか?
19世紀イギリスの政治家アクトン卿は「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」と述べておりますが、50年も権力の座にあって若手をどしどし抜擢・登用しなければ、当然の事ながら組織が腐敗して来る。孔子は三桓(御三家)の専横を嫌っておりましたから、臧文仲の在職中に三桓の専横が決定的なものになってしまったのではないか?国家百年の計をはかるべき立場にありながら、百年の禍根を残してしまった。にもかかわらず「文」などという最高の諡(称号)をもらっている。天下の大悪党が間違って「勲一等菊花大綬章」をもらったようなもので、孔子には許せなかったのではないでしょうか。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「百年前の我が国の大臣臧文仲は、殿様しか持つことを許されない大海亀のベッコウを所有していた。又、殿様の真似をして屋根に金のシャチホコを飾り、門に藻草の模様を彫刻していた。世間ではこの人のことを知識人といっているが、分不相応な見栄っぱりを、どうして知識人などといえようか」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
人の評価は死後百年位経ってみないと、本当の所は中々分からないものです。特に、思想的なものは分かりにくい。新春特別講話でも申しましたが、偉大な思想というものは、思想それ自体が時空を超えて進化し続ける。
時空を超えて進化する思想には、「普遍性」と「不変の真理」と「包容力」があって、更に物事を変容させてしまう「鼎新力(ていしんりょく)」を持っている。鼎新力とは鼎の中で異質な物をグツグツと煮込んで、全く新たなものを生み出す力、喩えば、小豆と砂糖をいくら煮ても汁粉にしかなりませんが、ここに「寒天」をいれることによって「羊羹」という全く新たなものが出来上がる。汁粉を羊羹に変容させてしまうような触媒作用、これを鼎新力と考えて良いでしょう。
寒天はそれ自体無色透明・無味無臭ですが、すべてを融合して変容させる力を持っている。思想に於けるこの寒天のような変容力を何と云うかというと、これが「中庸」なんですね。「論語開眼」でも云ったでしょう?「中庸とは、Aの良い所とBの良い所を合わせ持ち。更にそれを統一止揚して、一層進化させたニュートラルなハイブリット進化論である」と。忘れた方は、もう一度「論語開眼」をご覧になって下さい。
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