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原文
〕 作成日 2004年(平成16年)2月から3月 |
子貢曰、孔文子、何以謂之文也。子曰、敏而好學、不恥下問、
是以謂之文也。
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〔 読み下し 〕 |
子貢曰わく、孔文子は何を以て之を文と謂うや。子曰わく、敏にして学を好み、下問を恥じず、是を以て之を文と謂うなり。
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〔 通釈 〕 |
子貢が、「衛の大夫孔文子は、どうして文などという立派な諡(おくりな)をもらったのでしょうか?」と問うた。孔子は、「あの人は生まれつき利発でありながら学問好きで、分からないことがあれば部下に問うことを少しも恥としなかった。学問に対するこの真摯な態度の故に文という諡を得たのだ」と答えた。
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〔 解説 〕 |
孔文子(こうぶんし) 姓は孔 名は圉(ぎょ) 字は叔圉(しゅくぎょ) 文子は諡。諡とは死後に生前の徳を称えて贈られる称号。孔文子のことは、左伝哀公十一年の条に載っておりまして、同僚をそそのかして無理矢理妻と離縁させ、その後釜に自分の娘を嫁がせたが、同僚が別の女を囲っていると知るや、今度は強引に娘を取り返しに行った、とある。
二号三号は当たり前であった当時の慣習からすれば、親馬鹿でちょっと大人げない、と、子貢には映ったのではないでしょうか?そんな人がどうして文などという立派な諡をもらったのか疑問に思い、質問したのでしょう。
憲問第十四に「仲叔圉(孔文子のこと)は賓客を治め」とあって、孔子は孔文子の外交手腕があったから、衛の国は滅びずに済んだと文子の手腕を高く評価している。文子(ふみこ・あやこ)という女性の名前はここから採ったものでしょうか?直訳すれば「学問の子」となりますが、今度文子さんという名前の女性に出会ったら、「立派な諡ですねえ!」と云ってみますかね?「諡ってなんですか?」と聞いてきたら、「戒名みたいなものですよ」と答えることにしましょう。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
弟子の子貢が、「衛の国の外務大臣を務めた孔叔圉は、亡くなった時に文子という立派な称号[諡]をもらいましたが、その理由は何でしょうか?」と質問した。孔子様は「あの人は生れつき賢いにもかかわらず学問を怠ることがなく、分からないことがあれば、年下の人にも恥ずかしがらずによく質問した。学問に対するこのひたむきな態度を称えて、文子[学問の人]という称号をもらったんだよ」と答えた。
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〔 親御さんへ 〕 |
諡(死後、生前の徳をたたえて贈る称号)とは、日本仏教で云う戒名(かいみょう)のようなものと考えて良いでしょう。死後に付けられる名前ですから、勿論本人はそんな名前を知らない訳です。
「冠位十二階」や「憲法十七条」を制定した聖徳太子も諡ですから、自分が「聖徳太子」と呼ばれていることなど、生きている時には知らなかった訳です、本名は厩戸(うまやど)の皇子(おうじ)でしたからね。
戒名は本来出家して仏門に入るに際し、戒律を受けた時に授けられる名称でありますが、在家信者が亡くなると漏れなく全員に戒名を付けるようになったのは、いつの頃からでしょうか?
公家や武家には鎌倉時代からあったのかも知れませんが、百姓町民にも戒名を付けるようになったのは、江戸時代になってからではないでしょうか?そもそも位牌は、儒教の仕来たりを日本仏教が拝借したものですから、そう古い話ではないと思いますが。
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