公冶長第五 095

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原文      作成日 2004年(平成16年)2月から3月
子謂子賎、君子哉若人。魯無君子者、斯焉取斯。
 
〔 読み下し 〕
()子賤(しせん)()う、君子(くんし)なるかな(かくのごと)(ひと)()君子者(くんししゃ)()くんば、()(いず)くにか()れを()らん。
 
〔 通釈 〕
孔子が門人の子賤を評して、「君子であるなあこの男は。それにしても魯の国にお手本とするような立派な先輩がいなかったら、いかに子賤と雖もこれ程の人物にはなり得なかったであろう」と云った。
   
〔 解説 〕

子賤 姓は宓(ふく)名は不斉(ふせい)字は子賤。孔子より49才若かったとありますから、孔子が亡くなった時はまだ24才の若者に過ぎませんが、一体子賤のどんな所が孔子をして「君子なるかな」と云わせしめたのでしょうか。 いくつかのエピソードがありますので紹介してみましょう。

子賤はかつて単父(ぜんぽ)の知事としてその地を治めた。同門の巫馬期(ふばき)も又単父を治めた。子賤の場合は、琴を弾き堂を下らずともよく治まった。巫馬期は、粉骨砕身して単父を治めた。ある時、巫馬期が子賤に向かって、「あなたは、どうしてあの様に無為にしてよく治めることができたのか?」と質問した。子賤は、「私は有為有能な人に任じて治めた。人に任ずる者は安逸であり、自ら任ずる者は苦労するものだ」と答えた。

又、前漢の劉向(りゅうきょう)の編になる「説苑(ぜいえん)」という書物には、孔子が子賤に、「お前の交際のあり方はどのようなものか?」と問うた際、子賤は、「父として事える者三人。兄として事える者五人。友として交わる者十二人。師事する者が一人あります」と答えた。

孔子は、「父事(ふじ)する者三人から孝を教わり、兄事(けいじ)する者五人から悌を教わり、友とする者十二人によって己の偏見を取り除き、師事する所の者によって過ちを未然に防ぐ。かくのごとくであるなら、その功は堯舜と斉(ひと)しくなろう」と云って称賛した、とあります。 

「孔子家語(けご)」にも面白い話しが載っております。孔子の斡旋で、兄の子の子蔑が子賤と一緒に役所に就職した。ある時孔子は子蔑に、「どうだ、お前は就職して何か得る所があったか?それとも何か亡(うしな)ったか?」と問うと、子蔑は、「得たものは何もありませんが、亡ったものが三つ有ります。一に、仕事が忙しくて勉強する時間がありません。二に、安月給なので親戚の面倒もロクに見られません。三に、公務に振り回されて葬式や見舞にも行けませんので、交友関係が薄くなりました」と答えた。

同じ質問を子賤にすると、「亡うものは何もありませんが、得たものが三つあります。一は、今迄は机上の学問でしたが、就職してからは実践の裏付けができて益々学問が明らかになりました。二は、月給がもらえるようになりましたので、親戚の面倒を見られるようになりました。三は、仕事の合間を見て葬式や見舞に行くようにしておりますので、忙しいのによく来てくれた!と益々交友関係が深くなりました」と答えた。

こんな所から、孔子をして「君子なるかな若(かくのごと)き人!」云わせしめたのでしょう。子賤がその後どうなったかは、分かっておりません。子賤のその後を伝える資料がどこかにありましたら、是非教えて下さい。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)門人(もんじん)子賤(しせん)人柄(ひとがら)について、「まだ二十(はたち)()ぎたばかりだというのに見上(みあ)げたものだ!本人(ほんにん)努力(どりょく)もさることながら、(かれ)(みちび)いてくれる立派(りっぱ)先輩(せんぱい)(まわ)りにいなかったら、こうまで大物(おおもの)になれなかったであろう」と(おお)いに()めた。
 
〔 親御さんへ 〕
「栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し・栴檀(香木として珍重される白檀)は発芽の頃から早くも香気があるように、大成する人物は子供の時から並みはずれている」なる格言があります。

又、「十で神童、十五で天才、二十過ぎたらただの人」という俗言もある。かと思えば老子のように、「大器は晩成す・大きな器は速成では出来上がらないように、大人物は才能の現れるのは遅いが、徐々に大成して行く」という者もいる。一体どれが本当なんだろうか?と云えば、どれも本当!という他はありません。

少年時代から並みはずれておって、青年一壮年一老年と、年をとる毎に磨きがかかって来る人。(故安岡正篤先生がそうだったと云われます)少年時代は目を見張る程の才能を発揮したのに、青年一壮年一老年と進むに従って、過去の人となってしまう人(北朝鮮の子供雑技団なんかはこれでないでしょうか)。

少年時代はパッとしなかったけれども、青年一壮年一老年と、年をとればとる程磨きがかかって、七十過ぎてから大仕事を成し遂げる人。(白川静先生の字通・字訓・字統の三部作なんかはこれでしょう)それから、少年時代もパッとせず一大人になっても輝かず一年をとってもくすみっ放しの人や、山あり谷ありの波瀾万丈の人等々、誰もがその人なりの人生を送っている訳でありまして、こればっかりは他人が代行することはできません。

うまく行った時は自分の力、うまく行かなかった時は他人のせいにしたくなるのが人情ですが、うまく行った時というのは大概人様のお陰、うまく行かなかった時というのは決まって自分の力不足なんですね、真相は。前にも云いましたが、自分一人の力で今の自分になれたと思ったら大間違いなんですよ。血縁・地縁・人縁・時縁、目に見えない縁のお陰で今の自分があるんです。
 
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