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原文
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作成日 2004年(平成16年)2月から3月 |
子謂公冶長、可妻也。雖在縲絏之中、非其罪也、以其子妻之。
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〔 読み下し 〕 |
子、公冶長を謂う、妻すべきなり。縲絏の中に在りと雖も、其の罪に非ざるなりと。其の子を以て之に妻す。
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〔 通釈 〕 |
孔子が門人公冶長を評して、「あれなら娘を嫁にやっても宜しい。嫌疑を受けて投獄されてはいるが、まったくのぬれぎぬで、本人には何の罪もないのだから」と云って、自分の娘を嫁がせた。
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〔 解説 〕 |
公冶長 姓は公冶、名は長、字は子長。孔子には一男一女が居り、男子の名は鯉(り)、女子の名は蕘(じょう)。公冶長がどんな嫌疑を受けて投獄されたのか定かではないが、一説には、彼は鳥と自由に会話が出来、ある時鳥から谷に死体があることを聞かされて、その旨母親に伝えた所、犯人と疑われて投獄されたが、本当に鳥と会話が出来ることを証明して釈放された、という話しもある。13世紀イタリアのキリスト教伝道者で、鳥を集めて説教したと伝えられるアッシジの聖フランチェスコのようなものかも知れませんね。
公冶長がいかなる人物であったのか、何も分かっておりませんが、孔子の娘をもらい、論語の篇名に残る位ですから、余程見所のある男だったのでしょう。それにしても、喩えぬれぎぬとは云え、投獄された人物に自分の娘を嫁がせるなどとは、並みの人間にできるものではありません。普通は世間体を気にして破談でしょう。「君子は事実に基づいて判断し、信念に基づいて決断する」、「小人は噂に基づいて判断し、世間体に基づいて決断する」と云った所でしょうか。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様が門人公冶長の人柄について、「あの人物なら娘を嫁にやってもいいね。間違って逮捕されたことがあるが、彼には何の罪もない、真っ正直な人間だ」と評価して、自分の娘を嫁がせた。
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〔 親御さんへ 〕 |
昔から「公冶長論語に須磨源氏」という俗言がありまして、論語ならば全二十篇あるうちの「公冶長第五」で、源氏物語ならば全五十四帖(じょう)あるうちの第十二帖「須磨」のあたりで投げ出してしまう、所謂「三日坊主」を揶揄した言葉ですが、新論語を始めてからここ迄来るのに丁度一年かかっております。
「一年続けられたことは十年続けられる!」と前に申しましたように、ここ迄来れば堯日(ぎょうえつ)第二十迄続けられますから、気を引き締めて参りましょう。このペースで行きますと、全篇終了するのにあと4年位かかりそうですが、仕方がないですかね。
先を急ぎたい方は、U期生が「衛霊公第十五」・V期生が「子路第十三」を前の講義資料でやっておりますから、そちらのクラスに参加して下さい。
(「老子」の講義も並行してやっておりますから、神霊に興味のある方はうってつけでしょう)
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