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原文
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作成日 2003年(平成15年)11月から12月 |
子曰、徳不孤。必有鄰。
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〔 読み下し 〕 |
子曰わく、徳は孤ならず、必ず鄰有り。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「徳のある人物は孤立することがない。必ず共鳴する人々が現れるものである」と。
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〔 解説 〕 |
孤軍奮闘するというのは立派なことです。高邁なことほど、初めは中々理解してもらえず、共鳴者が現れませんからね。しかし、いつ迄経っても共鳴する者が現れず孤軍奮闘しているようでは、その人に徳がないってことでしょう。
徳の中でも、すべてのベースである仁の徳が欠落しておったら、まず絶対と云って良い程共鳴者は現れません。寄って来るのは、利用してやろうとする下心のある者ばかりです。
利用価値が無くなったらポイです。「人貧乏」している人は、ここをよく反省してみることです。仁不在の義・仁不在の礼・仁不在の知・仁不在の信を振り回していたのではないかを。
ただ、人貧乏の人は、自分が人貧乏していることに中々気が付かないんですね。一度よく考えてみなさい!仕事を失い、地位を失い、肩書きを失い、財産を失い、容色を失った貴方をあるがまま受け入れ、変わらずに友達付き合いしてくれる仲間がどれ位いるかを!!職場にいますか?町内にいますか?ライオンズやロータリークラブにいますか?取引先にいますか?古くからの友人にいますか?同業者組合にいますか?さあどうですか!?そうはいないでしょう。
そういう所で片手(5人)以上はいると考えている人は余程の大人物か、一度も痛い目に遭ったことにないノーテンキでしょう。気が付いてみたら、周りに誰もいなくなっていた、というのが普通なんです、大ちょんぼをやらかすとね。こうなって初めて気が付くんですよ、私みたいなノーテンキでも。
今まですべて
for me(自分の為)- with me(自分と共に)- in me(自分の思うままに)
という自分本位の考えで生きて来たことは間違いであった!と。
これからは少しでもいいから
for you (君の為に)- with you(君と共に)- in you(君と一体)の相手本意を
心掛けて生きてみよう!!と。
つまりこういうことではないでしょうか、I・my・me型の自分本位の人は「人貧乏」し、you・your・you型の相手本意の人は「人豊か」になる、と。人貧乏していると「弱り目に祟り目」で、泣き面に蜂が刺してしまうんですね。
安心しなさい!あなたがどうなろうと、あるがまま受け入れ、変わらぬ仲間付き合いをモットーとしているのが他ならぬ当会なのだから。「allways
with you!
常に君と共にある!」のが当会なんだからね。そうじゃなかったら、十年以上も通ってなんか来ないでしょう、こんな呑兵衛の下らない講義なんかを聞きに。本当は講義なんかどうでもいいから、月に一度は仲間と一杯やりたいと思って来てるんじゃないのかねえ。まあそれもいいだろう、allways
with you だからね、当会は。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「思いやりのある人は、一人ぼっちになることはない。必ず多くの仲間に囲まれるようになるものだよ」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
朱子の近思録(巻五第四十)に
人の朋友あるは、燕安(えんあん)の為ならず、其の仁を補佐する所以なり
(人に友人があるのは、のんびりくつろぐ為ではない。お互いに仁の実践を助け合う為である)、とあり、次に
今の朋友は、其の善柔(ぜんじゅう)なるものを択(えら)びて以て相(あい)与(くみ)し、肩を拍(たた)き袂(たもと)を執(と)りて、以て気(き)合(あ)えりと為す
(しかるに今の友人関係を見ると、人当たりのよい者ばかりを択んで交際し、肩を叩き手を取り合って、意気投合したと考えている)」と続き、
一言(いちごん)合わざれば怒気相(あい)加う。朋友の際は、其の相(あい)下(くだ)りて倦まざらんことを欲す。故に朋友の間に於いて、其の敬を主とするものには 相(あい)親与(しんよ)し、効を得ること最も速やかなり
(しかし一言でも気に入らぬと怒りに任せて怒鳴り合う。朋友の付き合いというものは、互いに譲り合うからこそ長続きするものなのだ。だから互いに恭敬(きょうけい)の心をもって交わるものは益々親密になり、共に助け合って仁を実践する上でも一番即効性があるのだ)」とあります。
恭敬とは、恭(うやうや)しくて敬(つつし)み深いこと、つまり、馴れ合ってルーズにならないという意味ですが、恭敬とは当会で云う仁の第二段階「友人・同僚を思いやる仁」のことですね。前に云ったかも知れませんが、「仲良しごっこ」ではダメだ!ということですよ。
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