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原文
〕 作成日 2003年(平成15年)11月から12月 |
子曰、君子喩於義、小人喩於利。
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〔 読み下し 〕 |
子曰わく、君子は義に喩り、小人は利に喩る。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「できた人物は損得よりも善悪を優先し、下らない人物は善悪よりも損得を優先するものだ」と。
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〔 解説 〕 |
前章で仁の土台の階悌について話をしましたので、ここでは義の柱の階悌について語って見たいと思います。義とは、正義・正しい道の事ですが、分かり易く云いますと、善悪の善・正邪の正・理非の理・曲直の直と考えて良いかと思います。
これに階悌があるとはどういうことかと申しますと、私的(プライベート)な義と公的(パブリック)な義とに分けた場合、公的な義が私的な義に優先し、更に私的義・公的義にもそれぞれにレベルがあり、下位は上位に準ずる、つまり、小義は中義に準じ、中義は大義に準ずるという意味であります。整理してみますと、
〈義の柱の階梯〉
<私的義>
第一段階 個人レベルの義
第二段階 血縁レベルの義(家族レベルの義) ここ迄が小義
<公的義>
第三段階 地縁レベル(地域社会・職場レベル)の義 これが中義
第四段階 人縁レベル(国家・民族レベル)の義 これが大義
第五段階 時縁レベル(世界・人類レベル)の義 これが大義中の大義
時縁レベルの義は人縁レベルの義に優先し、人縁レベルの義は地縁レベルの義に優先し、地縁レベルの義は血縁レベルの義に優先し、血縁レベルの義は個人レベルの義に優先するということですね。
例えば、人間のエゴによる人為的な環境汚染は、一国家・一企業・一家族・一個人の問題では済まされません。全地球レベルの問題として、世界中が取り組まなければどうにもなりません。このレベルで、国家エゴ・企業エゴ・家族エゴ・個人エゴを許してしまったら、地球は人類の住めない星になってしまいます。
地球が人の住めない星になってしまったら、国家も・企業も・家族も・個人も存在できません。義に於いて、私的<公的・小義<中義<大義。
個人<血縁<地縁<人縁<時縁の序を弁えない人を「ヤボコキ(野暮助)」と云うんです。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「君達は損得よりも善悪を考えて行動しなさい。善悪よりも損得で行動するような卑しい人間になってはいけません。」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
喩(さと)るとは聡(さと)い(鋭い・敏感)の意で、「君子は義に聡く、小人は利に聡い」ととっても良いのですが、〔義と利〕を聡い疎いに分けて整理してみますと、
利 |
義 |
1)義に聡く |
利にも聡い |
2)義に聡く |
利に疎い |
3)義に疎く |
利に聡い |
4)義に疎く |
利にも疎い |
の四通りになりまして、(2)が君子(3)小人とするならば、では(1)と(4)はなんだ?ということになります。まあ(4)の義にも疎く利にも疎いのは問題外としましても、気になるのは(1)の義に聡く利にも聡いタイプはどうなのか?ですね。
憲問第十四(仮名論語207頁)で孔子は「利を見ては義を思い(利益を得るに当たっては、それが社会正義に叶うものなのかどうかよく考えなさい)」と語っておりまして、利を全面的に否定しておりません。要は、義に叶う利か?義に背く利か?の違いです。
現代のように経済優先の時代ともなりますと、企業経営者が義に聡くても利に疎かったら、会社は潰れ従業員を路頭に迷わせることになってしまいます。逆に、利に聡くても義に疎かったら、これ又雪印のように潰れてしまいます。義に聡く利にも聡くなかったら、企業経営はやって行けません。経営者は義にも利にも聡くなければならんが、利の前に義を考えろ!利を見ては義を思え!損得よりも善悪を優先しろ!ということですね。これは立派な「企業君子」ですよ。
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