八佾第三 064

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原文                   作成日 2003年(平成15年)7月から 10月
儀封人請見。曰、君子之至於斯也、吾未嘗不得見也。從者見之。出曰、
二三子、何患於喪乎。天下之無道
久矣。天將以夫子木鐸。
   
〔 読み下し 〕
()封人(ほうじん)(まみ)えんことを()う。()わく、君子(くんし)(ここ)(いた)るや、(われ)(いま)(かっ)(まみ)えること()ずんばあらざるなり。従者(じゅうしゃ)(これ)(まみ)えしむ。()でて()わく、二三子(にさんし)(なん)(さまよ)うことを(うれ)えんや。天下(てんか)(みち)()きや(ひさ)し。(てん)(まさ)夫子(ふうし)(もっ)木鐸(ぼくたく)()さんとす。
 
〔 通釈 〕
孔子一行が衛の国境に近い儀という村に立ち寄った際、関所の役人が孔子に面会を求めて来て、「立派なお方がお越しの節は、いつもお目通り願っております」と云ったので、お供の門人達は孔子に面会させてやった。

やがて退出して来ると、「お前さん達!先生が位を失って本国を去られたことなど、少しも嘆く必要なんかありませんよ。天下に道義が失われて久しいので、天が先生を諸国に遣わせて、正道に立ち返らせようと木鐸(警醒)の使命をお与えになったのです」と云った。
   
〔 解説 〕

木鐸とは、天子の御触(おふれ)を民に告げ知らせる時に、手で振りながら鳴らした鈴で、回りは鉄製・舌が木製であったため、穏やかな音を出したという。世の人々を覚醒させ教え導く(警醒(けいせい)する)人のことを「社会の木鐸」と云いますが、その出典がここです。こういう言葉を残してくれた儀の関守に感謝しなければなりませんね。残念ながら名前は伝わっておりません。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)一行(いっこう)()という(むら)()いた(とき)関所(せきしょ)門番(もんばん)やって()て、「(えら)(ひと)がここを(とお)(さい)には、直接(ちょくせつ)(はな)しを()くことになっています」と、孔子(こうし)(さま)面会(めんかい)(もと)めた。お(とも)弟子(でし)(たち)面会(めんかい)させてやった。しばらくしてからその門番(もんばん)は、「(みな)さん、事情(じじょう)()(わか)りました。くよくよしなさんな!(てん)神様(かみさま)先生(せんせい)世直(よなお)しの大役(たいやく)をお(あた)えになったのですから、(みな)さんも(がん)()って(くだ)さい!」と()った。
 
〔 親御さんへ 〕

孔子が魯の大司冦(だいしこう・総理大臣のようなもの)の職を辞し衛の国に向かった時の一コマではないかと思います。56才頃の出来事でしょう。
 

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