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原文
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作成日 2003年(平成15年)7月から
10月 |
儀封人請見。曰、君子之至於斯也、吾未嘗不得見也。從者見之。出曰、
二三子、何患於喪乎。天下之無道也久矣。天將以夫子爲木鐸。
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〔 読み下し 〕 |
儀の封人見えんことを請う。日わく、君子の斬に至るや、吾未だ嘗て見えること得ずんばあらざるなり。従者之を見えしむ。出でて日わく、二三子、何ぞ喪うことを患えんや。天下の道無きや久し。天将に夫子を以て木鐸と為さんとす。
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〔 通釈 〕 |
孔子一行が衛の国境に近い儀という村に立ち寄った際、関所の役人が孔子に面会を求めて来て、「立派なお方がお越しの節は、いつもお目通り願っております」と云ったので、お供の門人達は孔子に面会させてやった。
やがて退出して来ると、「お前さん達!先生が位を失って本国を去られたことなど、少しも嘆く必要なんかありませんよ。天下に道義が失われて久しいので、天が先生を諸国に遣わせて、正道に立ち返らせようと木鐸(警醒)の使命をお与えになったのです」と云った。
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〔 解説 〕 |
木鐸とは、天子の御触(おふれ)を民に告げ知らせる時に、手で振りながら鳴らした鈴で、回りは鉄製・舌が木製であったため、穏やかな音を出したという。世の人々を覚醒させ教え導く(警醒(けいせい)する)人のことを「社会の木鐸」と云いますが、その出典がここです。こういう言葉を残してくれた儀の関守に感謝しなければなりませんね。残念ながら名前は伝わっておりません。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様の一行が儀という村に着いた時、関所の門番がやって来て、「偉い人がここを通る際には、直接話しを聞くことになっています」と、孔子様に面会を求めた。お供の弟子達は面会させてやった。しばらくしてからその門番は、「皆さん、事情は良く分りました。くよくよしなさんな!天の神様が先生に世直しの大役をお与えになったのですから、皆さんも頑張って下さい!」と云った。
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〔 親御さんへ 〕 |
孔子が魯の大司冦(だいしこう・総理大臣のようなもの)の職を辞し衛の国に向かった時の一コマではないかと思います。56才頃の出来事でしょう。
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