八佾第三 063

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原文                   作成日 2003年(平成15年)7月から 10月
子語魯大師曰、其可知也。始作翕如也。之純如也、皦如也、繹如也。
以成。
 
〔 読み下し 〕
()()大師(たいし)(がく)(かた)りて(のたま)わく、(がく)()()るべきなり。(はじ)めて(おこ)すに翕如(きゅうじょ)たり。(これ)(はな)ちて純如(じゅんじょ)たり、皦如(きょうじょ)たり、繹如(えきじょ)たり。(もっ)()る。
 
〔 通釈 〕
孔子が魯の楽官長と音楽談義した時に、「音楽のことなら私にも分かります。第一楽章の導入部では、リズムを合わせてフォルテシモで一斉に奏する。これに続いて第二楽章はテンポをとりながらハーモニーを合わせる。第三楽章は各楽器の持つ個性を生かしながらアクセントをつける。第四楽章はメロディーにバリエーションをつけながら流れるようにピアニシモで終る。これにて演奏終了と相成る」と云った。
 
〔 解説 〕

この時代既に音楽が四楽章から成っていたとは驚きですね。翕如(きゅうじょ)・純如(じゅんじょ)・皦如(きょうじょ)・繹如(えきじょ)とはどんなものなのか?今となっては分かりませんので、翕(きゅう・あわせる)・純(じゅん・まじりけがない)・皦(きょう・あきらか)・繹(えき・つらなる)の意を汲んで、独断と偏見で訳してみました。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)()(こく)交響(こうきょう)楽団(がくだん)常任(じょうにん)指揮者(しきしゃ)音楽(おんがく)(はなし)をした(とき)、「第一(だいいち)楽章(がくしょう)はソナタで軽快(けいかい)(はじ)まり、第二(だいに)楽章(がくしょう)はアダージョでゆったりとゆるやかに、第三(だいさん)楽章(がくしょう)はメヌエットで(かく)楽器(がっき)()さを()()し、第四(だいよん)楽章(がくしょう)はロンドでバリエーションをつけて演奏(えんそう)終了(しゅうりょう)する。これがポイントですね」とおっしゃった。
 
〔 親御さんへ 〕
ソナタもアダージョもメヌエットもロンドも、音楽の時間に習う用語ですから、一度音楽の教科書を覗いてみて下さい。(中学生になってからかな?)。
  
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