八佾第三 060

上へ

 
原文                   作成日 2003年(平成15年)7月から 10月
子曰、關雎而不淫、哀而不傷。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、關雎(かんしょ)(たの)しみて(いん)せず、(かな)しみて(やぶ)らず。
 
〔 通釈 〕
孔子云う「詩経の關雎の歌は、浮き浮きとして楽しいが取り乱す程ではなく、哀愁を帯びているが心を傷(いた)める程でもない、誠に調和のとれた好い歌である」と。
 
〔 解説 〕

關雎とは、詩経・周南冒頭の詩。『關關(かんかん)たる雎鳩(しょきゅう)は河の州(す)に在り。窈窕(ようちょう)たる淑女は君子の好逑(こうきゅう)』、「カンカンと鳴くみさご鳥は黄河の中州に。嫋(たおやか)な乙女は君子の好き妻に」という意味で、結婚する男女を祝福して歌ったもの。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおしゃった、「(むかし)()關雎(かんしょ)という(うた)があるが、ドキドキワクワクする(なか)にもホノボノとしたところがあって()(うた)だね」と。
 
〔 親御さんへ 〕
鶚(みさご)という鳥を知りませんでしたので調べてみましたら、「鷹(たか)目鷹科・大きさはほぼ鳶に同じ・頭と下面は白色・海浜に棲み、海上を飛翔し、急降下して魚類を捕える。

北半球に広く分布し、日本でも繁殖・別名魚鷹(うおたか)・洲鳥(すどり)」とありました。番鳥(つがいどり)かどうかは載っておりませんでしたが、歌のニュアンスからすると、恐らく番鳥(つがい)で一生過ごすのでしょう。
 
八佾第三 059 八佾第三 060 八佾第三 061
新論語トップへ