〔
原文
〕
作成日 2003年(平成15年)7月から
10月 |
定公問、君使臣、臣事君、如之何。孔子對曰、君使臣以禮、臣事君以忠。
|
〔 読み下し 〕 |
定公問う、君、臣を使い、臣、君に事うること、之を如何にせん。孔子対えて日わく、君、臣を使うに礼を以てし、臣、君に事うるに忠を以てす。
|
〔 通釈 〕 |
魯の定公が、「君主が臣下を使い、臣下が君主に仕えるに当たっての基本姿勢は何でしょうか?」と問うた。孔子は、「君主が臣下を使う場合は礼儀を尽くし、臣下が君主に仕える場合は忠義を尽くすことです」と答えた。
|
〔 解説 〕 |
孟子の五倫に、「父子有親・君臣有義・夫婦有別・長幼有序・朋友有信」というものがありますが、君臣有義とは、君は臣に対して「礼儀」を以てし、臣は君に対して「忠義」を以てするということですね。五倫については、孟子の講義の中で説明致しましたので、忘れた方は孟子講義録をご覧になって下さい。
「夫婦別姓運動」をやっている某女史が、「孟子も夫婦有別と云って、夫婦別姓を主張している。だから中国は今でも妻の人権を尊重して夫婦別姓なんだ!」とトンチンカンなことを云っておりましたが、孟子の夫婦有別とは、夫と妻の果たすべき役割の別・使命の別、つまり、夫は夫として、妻は妻としての本分を全うすることを云っているのであって、姓の別を云っているのではありません。
中国が昔から夫婦別姓なのは、妻は所詮血のつながらない他人であって、子孫を残す為の道具としてしか扱われておりませんでしたから、籍にも入れない・家産も継がせない・子供ができたら子供だけ夫の籍に入れて夫の姓を名乗らせる、つまり、妻には初めから「人権」など認められていなかったという名残が、夫婦別姓として残っているのでありまして、妻の人権を尊重して夫婦別姓にしている訳ではないんですね。
妻の人権を尊重するどころか、妻の人権を蹂躙して来た結果が、今の中国の夫婦別姓というスタイルなんですよ。孟子の五倫を知らない人が聞いたら、「へぇ?孟子って夫婦別姓主義者だった」と思うんじゃないですかねぇ。罪つくりですよ、こういうのは。「バカも休み休み云え!」と云いたくなること多いですよ、近頃は。
|
〔 一言メッセージ 〕 |
『自己の天分に叶う道で本分を全うする。これが人生の王道』
|
〔 子供論語 意訳 〕 |
魯の殿様定公が、上が下を使い、下が上に仕える時の心構ええを質問した。孔子様は、「上の人は下の人に対して模範を示してやること。下の人は上の人に対して真心を尽くすこと。つまり、それぞれが置かれた立場で本分を全うすること。これがすべての基本ですね」と答えた。
|
〔 親御さんへ 〕 |
本分を全うするとは、置かれた立場や環境の中でベストを尽くすということですから、本分をないがしろにすれば、家庭も学校も企業も国家もメチャクチャになってしまいます。「本分を全うする」なんて、随分古臭いことを云うなあ?と思われるかも知れませんが、子供のうちからここをしっかり教えておきませんと、「公」的社会に於ける「私」の存在根拠が分からなくなってしまうんですね。
「恥を知る心」を失ってしまうんです。戦後、個人の権利だけが強調されて、公に於ける個の義務が野放しにされて来ましたから、今迄に考えられなかったような事件が頻発しているんですよ。
本分とは、手っ取り早く云えば、「公に於ける個としての自律的義務観」と考えて良いかと思います。これは子供のうちから、きっちりと教えておくべきですね。本分と似た言葉に「天分」というものがありますが、天分とは読んで字の如く、人それぞれに「天から分け与えられた才能・素質」という意味です。
ですから、本分と天分はセットになっている、つまり、自己の天分に叶う道で本分を全うする、これが人生の王道なのではないでしょうか。90才過ぎても現役で活躍しておられる、医師の日野原重明先生や、漢文学者の白川静先生(2006/10死去)なんかはみごとなものですね。自己の天分に叶う道で本分を全うするスーパーモデルですね、あの方達は?
|