為政第二 024

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原文                 作成日 2003年(平成15年)5月から7月
子夏問孝。子曰、色難。有事、弟子服其勞、有酒食、先生饌。曾是以爲孝乎。
 
〔 読み下し 〕
()()(こう)()う。()(のたま)わく、(いろ)(かた)し。(こと)()れば弟子(ていし)()(ろう)(ふく)し、酒食(しゅし)あれば先生(せんせい)(せん)す。(すなわち)()れを(もっ)(こう)()さんや。
 
〔 通釈 〕
弟子の子夏が孝を質問した。孔子は、「この時の顔つきが難しいぞ。骨の折れる仕事があれば、親にやらせないで若者が率先してやる。御馳走があれば、目上の人から先に召し上がってもらう。この時、さりげなく当たり前の顔つきでできるかどうか?これ見よがしだったり、恩着せがましかったりしたら、孝行も台無しだからね」と。
 
〔 解説 〕
陰徳を積むという言葉があります。分かり易く云えば、人知れず・さりげなく善行を施す、の意味になろうかと思いますが、孔子がここで云わんとしていることも、恐らく「親切は人知れずさりげなくやれ!これ見よがしで恩着せがましいのは偽善だ!!」と云いたかったのではないでしょうか。孟子の「惻隠の情」という言葉も、一般には「哀れみの情」というように解釈されておりますが、孟子の真意は、「そっと隠れて気遣ってやる」ことにあったのではないかと思います。
 
〔 一言メッセージ 〕
『親切は、人知れず・さりげなく』
 
〔 子供論語  意訳 〕
弟子(でし)()()親孝行(おやこうこう)質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「親孝行(おやこうこう)気配(きくばり)りが大切(たいせつ)だね。(ちから)仕事(しごと)(おや)にやらせないで子供(こども)(たち)率先(そっせん)してやる。(うま)いものがあればまず(おや)にすすめる。この(とき)面倒(めんどう)(くさ)そうな(かお)をしたり、もの()しそうな(かお)つきをしたら、せっかくの親孝行(おやこうこう)(だい)(なし)しになるから、ニコニコ(さわ)やかにやったらいいね」と(こた)えた。
 
〔 親御さんへ 〕

これ見よがしの恩着せがましい態度には辟易させられますが、これと背中合せの「味噌も糞も一緒くた」つまり、物事の大小・軽重・本末・先後の弁別がつけられず、すべてを同列・平板にしか捉えられないのも困りものです。気配りや気働きのないことを称して、「気が利かない」とか「デリカシーがない」と申しますが、ナーバス(神経質)ではあるけれども、デリカシーのない人が随分増えて来たように思いますが、私の偏見でしょうか?

人それぞれ性格の違いがありますから、気が利く人と利かない人がいるのは仕方のないことですが、よく考えてみれば、礼儀作法というのは、気配りをマニュアル化したもの、つまり、誰でも(気が利かない人でも)最低限の気配りができるように標準化された「訓練マニュアル」、と云っても良いのではないでしょうか。

ですから、子供のうちからある程度の礼儀作法を身に付けさせるというのは、大切なことなんですね。特に、気の利かない性格の子に対してはね。気が利かない上に礼儀作法も心得ていなかったら、将来、まともな人間から相手にされません。これは親の責任です、礼儀は。「親の顔が見てみたい」と云うでしょう?世間では。

だからと云って、一生涯親に責任があるのか?といえば、決してそんなことはありません。二十過ぎたら、本人の責任です。二十過ぎれば、血縁以外に、地縁・人縁・時縁の中で、常に選択の自由が保証されているのですから。まあ、四十迄に、自分で自分を矯め直して行けば良い。

これは子供自身の自己責任なのです。権利には義務が、自由には責任が伴いますからね。リンカーンは、「四十過ぎたら、自分の面(つら)に責任を持て!」と云ったそうですが、人相の良し悪しすらも自己の責任、心の持ち方一つ!と云っている訳ですね。

二十過ぎたら、自己の選択に責任を持て!  三十過ぎたら、自己の人生に責任を持て!四十過ぎたら、自己の人相に責任を持て!  五十過ぎたら、自己の魂(霊性)に責任を持て!と云った所でしょうか。そう云えば、昔「男の面(つら)は履歴書、女の面は請求書」などという俗彦がありましたが、あれは正確にはどういう意味なんでしたっけ?
 

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