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原文
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作成日 2003年(平成15年)5月から7月 |
子夏問孝。子曰、色難。有事、弟子服其勞、有酒食、先生饌。曾是以爲孝乎。
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〔 読み下し 〕 |
子夏孝を問う。子曰わく、色難し。事有れば弟子其の労に服し、酒食あれば先生に饌す。曽ち是れを以て孝と為さんや。
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〔 通釈 〕 |
弟子の子夏が孝を質問した。孔子は、「この時の顔つきが難しいぞ。骨の折れる仕事があれば、親にやらせないで若者が率先してやる。御馳走があれば、目上の人から先に召し上がってもらう。この時、さりげなく当たり前の顔つきでできるかどうか?これ見よがしだったり、恩着せがましかったりしたら、孝行も台無しだからね」と。
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〔 解説 〕 |
陰徳を積むという言葉があります。分かり易く云えば、人知れず・さりげなく善行を施す、の意味になろうかと思いますが、孔子がここで云わんとしていることも、恐らく「親切は人知れずさりげなくやれ!これ見よがしで恩着せがましいのは偽善だ!!」と云いたかったのではないでしょうか。孟子の「惻隠の情」という言葉も、一般には「哀れみの情」というように解釈されておりますが、孟子の真意は、「そっと隠れて気遣ってやる」ことにあったのではないかと思います。
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〔 一言メッセージ 〕 |
『親切は、人知れず・さりげなく』
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〔 子供論語 意訳 〕 |
弟子の子夏が親孝行を質問した。孔子様は、「親孝行は気配りが大切だね。力仕事は親にやらせないで子供達が率先してやる。旨いものがあればまず親にすすめる。この時面倒臭そうな顔をしたり、もの欲しそうな顔つきをしたら、せっかくの親孝行が台無しになるから、ニコニコ爽やかにやったらいいね」と答えた。
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〔 親御さんへ 〕 |
これ見よがしの恩着せがましい態度には辟易させられますが、これと背中合せの「味噌も糞も一緒くた」つまり、物事の大小・軽重・本末・先後の弁別がつけられず、すべてを同列・平板にしか捉えられないのも困りものです。気配りや気働きのないことを称して、「気が利かない」とか「デリカシーがない」と申しますが、ナーバス(神経質)ではあるけれども、デリカシーのない人が随分増えて来たように思いますが、私の偏見でしょうか?
人それぞれ性格の違いがありますから、気が利く人と利かない人がいるのは仕方のないことですが、よく考えてみれば、礼儀作法というのは、気配りをマニュアル化したもの、つまり、誰でも(気が利かない人でも)最低限の気配りができるように標準化された「訓練マニュアル」、と云っても良いのではないでしょうか。
ですから、子供のうちからある程度の礼儀作法を身に付けさせるというのは、大切なことなんですね。特に、気の利かない性格の子に対してはね。気が利かない上に礼儀作法も心得ていなかったら、将来、まともな人間から相手にされません。これは親の責任です、礼儀は。「親の顔が見てみたい」と云うでしょう?世間では。
だからと云って、一生涯親に責任があるのか?といえば、決してそんなことはありません。二十過ぎたら、本人の責任です。二十過ぎれば、血縁以外に、地縁・人縁・時縁の中で、常に選択の自由が保証されているのですから。まあ、四十迄に、自分で自分を矯め直して行けば良い。
これは子供自身の自己責任なのです。権利には義務が、自由には責任が伴いますからね。リンカーンは、「四十過ぎたら、自分の面(つら)に責任を持て!」と云ったそうですが、人相の良し悪しすらも自己の責任、心の持ち方一つ!と云っている訳ですね。
二十過ぎたら、自己の選択に責任を持て! 三十過ぎたら、自己の人生に責任を持て!四十過ぎたら、自己の人相に責任を持て!
五十過ぎたら、自己の魂(霊性)に責任を持て!と云った所でしょうか。そう云えば、昔「男の面(つら)は履歴書、女の面は請求書」などという俗彦がありましたが、あれは正確にはどういう意味なんでしたっけ?
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