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原文
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作成日 2003年(平成15年)5月から7月 |
孟懿子問孝。子曰、無違。樊遲御。子告之曰、孟孫問孝於我、我對曰、無違。
樊遲曰、何謂也。子曰、生事之以禮、死葬之以禮、祭之以禮。
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〔 読み下し 〕 |
孟懿子、孝を問う。子曰わく、違うこと無し。樊遅御たり。子之に告げて曰わく、孟孫孝を我に問う、我対えて曰わく、違うこと無しと。樊遅曰わく、何の謂ぞや。子曰わく、生けるには、之に事うるに礼を以てし、死すれば之を葬るに礼を以てし、之を祭るに礼を以てす。
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〔 通釈 〕 |
孟懿子が孝の要点を尋ねた。孔子は、「違うことのないように」と答えた。帰路、馬車の御者をつとめていた弟子の樊遅に、「孟孫が孝について尋ねたので、私は違うことのないように、と答えたよ」と話しかけた。
樊遅は、「それはどういう意味ですか?」と問うた。孔子は、「親の存命中は礼を以て孝行し、親が死んだら礼を以て葬儀をとり行い、年忌には礼を以て法要を営む。違うこと無しとは、この礼に違うなということだよ」と答えた。
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〔 解説 〕 |
孟懿子とは、魯の大夫(家老)孟孫のこと。当時魯の政治を恣(ほしいまま)にしておった三桓(さんかん)の一人。三桓とは、魯の桓公の血筋を引く孟孫・叔孫・季孫の三家(さんか)のことで、江戸時代の尾張徳川家(尾州家)・紀伊徳川家(紀州家)・常陸(ひたち)徳川家(水戸家)の御三家のようなものと考えて良いでしょう。
樊遅とは孔子の弟子で、論語にしばしば登場しますが、孔子をして「小人(しょうじん)なるかな樊須(はんす)や」と云わしめた、ちょっとピントの外れた人物だったようです。
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〔 一言メッセージ 〕 |
『思いやる気持を姿・形にしたものが礼』
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〔 子供論語 意訳 〕 |
魯国の大臣孟懿子が、親を敬うとはどういうことかを質問した。孔子様は、「礼儀を守ることだね」と答えた。帰り道、車の運転手をしていた弟子の樊遅に、「さっき孟孫さん(孟懿子のこと)に親を敬う方法を聞かれたので、私は、礼儀を守りなさいと答えたんだよ」と話しかけた。樊遅は「どういうふうに礼儀を守ったら良いのですか?」とたずねた。孔子様は、「親が生きている時は親孝行に励み、親が亡くなったらちゃんと葬式をやり、命日には家族が集まって法事をする。この三つが親を敬う礼儀(ルール)だね」と答えた。
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〔 親御さんへ 〕 |
樊遅という人は、論語にたびたび登場して、いろんなことを孔子に質問しますが、ピントの外れたことを云っては、孔子に「やれやれ」と思われていたようです。
孔子門下にもこういうとぼけた弟子がいたのか?と、我々凡人をちょっとホッとさせてくれます。孔子も時には「好い加減にせーよ!?」と思うこともあったのでしょうが、厭わずにちゃんと答えております。
丁度子供が「どうして?なぜ?」と親に質問を浴びせる様(さま)に似ておりますが、子供の「どうして?なぜ?」に倦むことなく、どれ位きちんと答えられるか?親が試されていると思った方がいいですね。
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