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原文
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作成日 2003年(平成15年)5月から7月 |
子曰、吾十有五而志干學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、
六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩。
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〔 読み下し 〕 |
子曰わく、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「私は十五才の頃に学問の道に入ろうと決心した。三十で学問に対する自分なりの見解が確立した。四十で何事に対しても戸惑うことがなくなった。五十で天が自分に命じ与えた使命を悟った。六十で何を聞いても動じなくなった。七十になってからは、心のおもむくままに行っても、道理に違うことがなくなった」と。
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〔 解説 〕 |
孔子晩年に、それ迄の人生を回想して述べた言葉で、論語を読んだことがなくても、知らぬ人はいない位に有名な文章です。
孔子は大変な苦労人ですから、傍(はた)から見ると、さぞかし辛い人生だったんだろうな?と思われるかも知れませんが、本人は、辛いとか苦しいなどと云うことを、全く口にしなかったようです。
論語全500章中、孔子が弱音を吐いているのは、先進第十一の、愛弟子顔淵が死んだ時に、「噫(ああ)、天予(われ)を喪(ほろ)ぼせり、天予を喪ぼせり」と慟哭している箇所くらいのものですが、これとても、孔子教学の後継者と期待していた一番弟子に先立たれて、一時取り乱しただけですから、孔子という人は、本当に生来の楽天家だったようです。
孔子を教祖として殊更無謬化・神聖化することには問題がありますが、だからと云って、どこにでも居る普通のオッサン、とするのも謬見(びゅうけん)ではないでしょうか。どこにでも居る普通のオッサンの語録が、2500年間も読み継がれる筈はありませんからね。
孔子はやはり、偉大な人物・グレートサーバントだったんですよ。偉大な人物ほど、高遠なことをサラリと分かり易い言葉で説くものなんですね。勿体振って七面倒臭く語るのは、「見掛け倒し」と、昔から相場が決まっているんですよ。
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〔 一言メッセージ 〕 |
『人生には年相応の節目がある。逃げれば単なる憂節(うきふし)
(辛く悲しいだけ)に過ぎないが、立ち向かえば見事な年輪となる』
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「私は十五才の時に、学問に打ち込もうと決心した。三十になると、自分の学問に自信が持てるようになった。四十で様々な迷いがふっ切れた。五十の時に神様が自分に授けた使命を悟った。六十になって、何を云われても腹を立てることがなくなった。七十になってからは、やりたいようにやっても羽目を外すことがなくなった。私の七十数年間の人生をざっと振り返ってみれば、こんなところだね」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
解説で、孔子は生来の楽天家だったようだと述べましたが、世の中にはこれとは逆に、物事の悪い面ばかり見て、万事悲観的に考える「厭世家」という人達が結構おります。
そういう人達をよく観察してみますと、頼れるものは結局の所金だけ!物だけ!という、唯物的な考えの持ち主が多いんですね。所謂筋金入りの「人間不信」というやつです。
かわいそうな人だな?と思うのですが、本人はかわいそうだなどとは少しも思っていない。むしろ楽天家を見て、「馬鹿な奴等だ!御人好しの愚か者だ!!」位にしか思っていない。
厭世家を見抜く方法は簡単です。目を見れば一発で分かります。必ず人を小馬鹿にしたような目つきをしていますから。こういう人にはあまり近づかない方がいいですね、あの目つきは伝染しますからね。もし自分に、「最近ちょっと厭世的になって来たかな?」と感じられるようなことがあったなら、荘子(そうじ)の次の言葉を思い出して、繰り返し唱えてみてはいかがでしょうか。
「不将不迎、応而不蔵・将(おく)らず迎(むか)えず応(おう)じて蔵(ぞう)せず」。『持ち越し苦労はしなさんな。取り越し苦労もしなさんな。来るものは拒まず去るものは追わず。あっさり伸び伸び爽やかに!』と。楽天的に生きるのも厭世的に生きるのも、本人の気持ちの持ち方次第ですから、せめて今世は、伸び伸び爽やかに生きたいものですね。
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