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原文
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作成日 2003年(平成15年)3月から
4月 |
子貢曰、貧而無諂、富而無驕何如。子曰、可也。未若貧時樂道、
富而好禮者也。
子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與。
子曰、賜也始可與言詩已矣。告諸往而知來者也。
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〔 読み下し 〕 |
子貢曰わく、貧しくして諂うこと無く、富みて驕ること無きは何如。子曰わく、可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好む者には若かざるなり。子貢曰わく、詩に云う、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如しと。其れ斯を之れ謂うか。子曰わく、賜や、始めて与に詩を言うべきのみ。諸に往を告げて来を知る者なり。
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〔 通釈 〕 |
子貢が孔子に、「貧しくとも卑屈になって諂うことがなく、富んでも驕りたかぶることのない
人物はいかがなものでしょうか?」と問うた。孔子は、「それは結構だが、たとえ貧乏であっても、その貧乏であることすら忘れて学問修養の道を楽しみ、金持ちになっても、金のことを
忘れて礼儀礼節を好んで実行する者には及ばないな」と答えた。
これを聞いた子貢はピンと来て、「詩経の中に切磋琢磨と云って、切ってみがき・刻んで
みがき・叩いてみがき・こすってみがく(磨きに磨きをかける)という句がありますが、この句は
先生の今の言葉と同じ意味でしょうか?」と問うた。孔子は子貢の感度の良さに感心して、
「その通り!賜(子貢の名)よ、お前とこそ共に詩を語り合えるな。打てば響くとはこのことだ。中々の優れ者であるぞ、お前は」と云った。
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〔 解説 〕 |
詩経とは、中国最古の詩集で、BC1000年〜BC600年頃にかけて成立したものと云われ、
305編が収められております。風(ふう)・雅(が)・頌(しょう)の三部からなり、「風」とは「国風」のことで、黄河流域諸国の15の民謡に分かれている。「雅」とは周の朝廷の宴会で歌われた
もので、大雅と小雅の二つに分かれている。「頌」とは祭祀の時に祖先の廟の前で歌われたもので、周頌・魯頌・商頌の三つに分かれている。孔子は詩経を学ぶことを弟子達に盛んに薦めておりますが、南宋の朱子以降は「四書五経」が儒学(儒教)の基本書とされました。
四書・・・論語・孟子・大学・中庸
五経・・・詩経・書経・易経・礼記(らいき)・春秋
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〔 一言メッセージ 〕 |
『何事も、もうこれでいいということはない。磨きの上にも磨きをかけよ!』
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〔 子供論語 意訳 〕 |
弟子の子貢が孔子様に、「貧乏でもコセコセせずに堂々としており、金持ちになっても威張らず控え目にしている人はどうでしょうか?」
と質問した。孔子様は、「それは良いことだね。だが、たとい貧乏であっても貧乏のことを忘れて学問に打ち込み、たとい金持ちになってもお金のことを忘れて礼儀正しくする人には及ばないな」と答えた。子貢は、「昔の詩集に切磋琢磨と云って、お互いに励ましあってもっともっと人格を磨こうという詩がありますが、これは今の先生の
お話と同じ意味でしょうか?」とたずねた。孔子様は子貢の感度の良さにびっくりして、「その通り!ともに詩を語り合える仲間ができてうれしいよ。打てば響くというんだね、君のように人の話を聴いてすぐに応用のできる人を」と子貢を褒めた。
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〔 親御さんへ 〕 |
「往(おう)を告げて来(らい)を知る者なり」とは、正確に云えば、過去の事を聴いたらそこから類推して先を読む、というような意味になるのでしょうが、打てば響く(すぐさま反応する)と訳させてもらいました。
性格にもよりますから、全部が全部打てば響くようになれるかと云えば、無理かも知れませんが、部分的に打てば響くようなことは可能です。好きなこと得意なことに集中して、研鑽を積んで行きますと、その分野に限っては、打てば響くようになれるものです。
一つのことに打ち込んでおりますと、四六時中そのことが頭から離れませんから、人が何気
無く見過ごしてしまうようなことがあっても、そこからパッとヒントやアイデアをつかみ取る。
ニュートンが、木から落ちるリンゴを見て「万有引力の法則」を発見したなどという逸話も、
普段から「どうして月は落ちて来ないのだろう?どんな力が働いているのだろう?」と、考え
続けていたから発見できたんですね。
ファラデーがベンゼン環の化学式を発見したのは、転寝(うたたね)した時に、夢の中で蛇が自分の尻尾をくわえてグルグル廻っているのを見てヒントを得た、とされていますが、これも
普段から考えに考え続けていたからでありまして、普通の人が蛇の夢を見たって、ただ気持ちが悪いと思うくらいでしょう。
お子さんが普段と違う興味を示すようなことがあったら、たとえ親に興味のないことであっても、
決して見逃さないでください。うちの家系で学者になった者は一人もいない!とか、音楽家になった者は誰もいない!とか、画家になった者は一人もいない!などと、頭から決め付け
ないでください。鳶が鷹を生む例はいくらでもありますから。
サラリーマンノーベル賞の田中耕一さんのようにね。総理大臣までやった田中角栄だって、馬喰(ばくろう)の伜だったんですから。自分達がこうだったから、先祖がこうだからと、あまり
決め付けない方がいいですね。要は、全身全霊を捧げて打ち込めるものを持っているか
どうか!?ということでしょう。
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