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原文
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作成日 2003年(平成15年)3月から
4月 |
子曰、不患人之不己知、患不知人也。
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〔 読み下し 〕 |
子曰わく、人の己を知らざるを患えず。人を知らざるを患うるなり。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「人が自分のことを知ってくれない!?などと思い患う暇があったら、
自分はどれ位人のことを知っているのだろうか!?を反省してみなさい!」と。
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〔 解説 〕 |
哲学者の西田幾多郎は、「人が自分のことを知ってくれない!とぼやく者の中で、99%は
自分に知ってもらうだけの能力がないことを棚に上げている」と云ったそうです。また「自分を
知ってくれない!とぼやく者に限って、人のことを知ろうとしない」とも云ったそうですが、
これは本当に身につまされますね。
「人を知らざるを患うる」とは、人のことを知らない自分を知るということですから、結局は、
自分自身のことを本当に知っているのか!ということになります。人間いつの時代も、
知っているつもりで一番知らないのが自分のことですから、相手を通して、相手を鏡として
自分を知って行く他はないんですね。
ここを履き違えて、自分の主張を押し通そうとすると、決まって「野暮こき」のレッテルを
貼られてしまいます。野暮をこいちゃあいけませんね。
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〔 一言メッセージ 〕 |
『人の心は、己の映し鏡』
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「人が自分のことを知ってくれない!などとくよくよしてはいけないよ。それよりも君はその人のことをよく分かっているのかな?相手のことも知らないで、自分の
ことだけ知ってもらいたいというのは、虫がよすぎるというものだね」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
自分のことを誰も分かってくれない」と嘆いて、サイトで知り合ったメル友と連れ立って自殺
する若者が増えていると聞きます。自分の存在を人に知ってもらえないなどということはあり
得ないのですが、一旦思い込むと、蟻地獄のようなもので、どんどん深みにはまって行きます。自分のことしか眼中にありませんから、何を云っても効き目はありません。
そんな時は、だまってハイキングに引っ張り出してやったらいいんですね。なるべく人気の
ない山にでも連れて行って、岩陰にぽつんと咲いている野花を見せてやったらいいんです。「ちょうど君みたいだね。誰も見てくれる人がいないのに、必死で咲いている。お天道様に
向かって。誰も見てくれる人がいなくても、ちゃーんとお天道様が見守ってくれているんだね。ありがたいね!」と一言。
あとは何も云う必要はありません。どんな子でも、ハッと吾に返るきっかけを待っているんです。
いいきっかけさえ与えれば、殆どの子は立ち直ります。それでも効き目のない子は、何らかの
トラウマがありますから、専門医に相談したらいいでしょう。アーノルド・ミンデルの一連の著作に、トラウマ解消の事例が沢山紹介されておりますから、一度読んでみたら良いのではないでしょうか。
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