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原文
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作成日 2003年(平成15年)3月から
4月 |
子禽問於子貢曰、夫子至於是邦也、必聞其政、求之與、抑與之與。
子貢曰、夫子温良恭儉譲、以得之。夫子之求之也、其諸異乎人之求之與。
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〔 読み下し 〕 |
子禽、子貢に問うて曰わく、夫子の是の邦に至るや、必ず其の政を聞く、之を求めたるか、抑々之を与えたるか。子貢曰わく、夫子は温良恭倹譲、以て之を得たり。夫子の之を求むるは、其れ諸れ人の之を求むるに異なるか。
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〔 通釈 〕 |
弟子の子禽(しきん)が先輩の子貢(しこう)に問うた、「先生(孔子)はどの邦(くに)に行かれても、必ず政治の話がメインテーマになりますが、これは先生から持ち掛けたものでしょうか?それとも先方から持ち掛けられたものでしょうか?」と。
子貢はこれに答えて、「それは、先生がおだやかで・すなおで・うやうやしくて・つつましやかで・へりくだるお人柄であるから、自然に先方から持ち掛けられたのだよ。時には先生の方から話しを持ち掛けることもあるが、それは他の人がやるような自己PRとは全く違っていたね」と。
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〔 解説 〕 |
子禽とは孔子の弟子、子貢はその兄弟子。子貢は、子路や顔淵と並んで論語にしばしば
登場する孔門十哲の一人です。頭が切れて弁が立つだけではなく、実行力もあった人で、特に外交交渉や商才にたけていたようです。
孔子が流浪した14年間の諸費用は、おそらくこの人が面倒を見ていたのではないでしょうか。
孔子の死に水を取ったのがこの人で、孔子が死期を覚った時、子貢は旅に出ておりましたが、
孔子は子貢の帰りを今か今かと待ちわびながら、日に何度も門前に立ったといいます。
又、子貢が帰ると、孔子は「遅かったではないか!」と云って、抱いて泣いたといいます。子貢が帰ってから丁度一週間後、孔子は弟子達に看取られて息を引き取ります。孔子享年74才、子貢はこの時43才でした。
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〔 一言メッセージ 〕 |
『おだやかで・すなおで・うやうやしくて・つつましやかで・へりくだる人柄ならば、
自己宣伝などしなくとも、自然に人は寄って来る』
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〔 子供論語 意訳 〕 |
弟子の子禽が兄弟子の子貢に質問した、「先生はどこの国に行かれても、必ず政治の話をされますが、これは先生が自分を売り込むためでしょうか?それとも相手が相談をもちかけて来るからでしょうか?」と。子貢はこれに答えて、「それは先生がおだやかで・すなおで・うやうやしくて・つつましやかで・へりくだるお人柄だから、相手も安心して相談をもちかけて来るんだね。たまには先生の方から政治の話しをされることもあるが、自分を売り込むようなことは一切され
ないね」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
弟子の子貢から見た孔子の人柄は、温(温厚)・良(善良)・恭(恭順)・倹(倹素)・譲(謙譲)と
五つの特徴を挙げております。分かり易く云いますと、温厚とは、おだやかで情に厚い。善良とは、素直で良心的。恭順とは、慎み深く丁寧。倹素とは、質素倹約。謙譲とは、控え目で
遜る。となりましょうか。
そんな性格では落ちこぼれてしまうではないか!?と思われるかも知れませんが、あなたの周囲をよーく見回してみて下さい。五つすべて具わっている人物は滅多におりませんが、全くいない訳でもない、必ず一人や二人はいる筈です。
どうですか?何となくほのぼのとして来るような人はいませんか?懐かしい感じがして来るような人はいませんか?いたでしょう!?その人、落ちこぼれていますか?逆でしょう!?特に
これと云った才能があるようには見えないし、立派な肩書を付けている訳ではないけれど、
いつも幸せそうな人がいるでしょう!そう!!こういう人こそ、たとえ平凡ではあっても、周りの人が放っておかないんですね。
何かあった時には、不思議とどこからか助っ人が現われて、何事もなかったかのように運ばれて行く。しかも、その助っ人も当たり前のような顔をしている。こういう人を本当の果報者と云うんですね。万一世間が放っておいたとしても、神様が放っておく筈がないんですよ、こういう人を。
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