学而第一 009

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原文                          作成日 2003年(平成15年)3月から 4月
子曰、終追遠、民徳歸厚矣。
 
〔 読み下し 〕
(そう)()()わく(おわり)(つつし)(とお)きを()えば、(たみ)(とく)(あつ)きに()す。
 
〔 通釈 〕
曽子云う、「親の葬儀を鄭重(ていちょう)に執り行って、年忌法要を手厚く実行すれば、 人の情は自然に厚くなるものだ」と。
 
〔 解説 〕
当時の「孝」の概念には三段階あったようで、親が存命であれば親孝行を以て孝の心を表す。 親が亡くなったら、葬儀・服喪を以て孝の心を表す。服喪が明けたら、ご先祖と同様年忌 法要を以て孝の心を表す。というのが「孝」と考えられていたようです。

<序>の「論語開眼」で述べたように、位牌や墓や年忌法要の仕来たりは、仏教特有のものと 考えておられる方が殆どではないかと思いますが、実は、本来の釈迦仏教とは何の関係も ないんですね。

釈迦は「肉体執着を断て!肉体煩悩を捨てよ!」の一点張りですから、本来の仏教に、位牌や墓や年忌法要などある訳がありません。(物や形に未練を持つなど以ての外なのです) 位牌や墓や年忌法要は、日本仏教特有のものでありまして、元々儒教の仕来たりを拝借したものなんですね。

先祖を供養するというのは大切なことです。今日私達があるのは、ご先祖あってのことです から。ただ立派な戒名を付けてもらう為に何十万も払うとか、何百万もする仏壇を飾るとか、 分不相応な立派な墓を建てるなどしても、ご先祖はちっとも喜ばないし、何の供養にもなら ないんですね。興味がないんですよ、ご先祖はそんなことには。子孫の見栄でしかありませんから。そんなことより、子孫であるあなた方が、仲睦まじく幸せに暮らしていることが、何よりも供養になるし喜ぶんですね。
 
〔 一言メッセージ 〕
『仲睦まじく幸せに暮らすことが、ご先祖への何よりの供養』
 
〔 子供論語  意訳 〕
(そう)先生(せんせい)()った、「(ひと)はいつか(かなら)()ぬ。 (とう)さんもお(かあ)さんも、(にい)さん(ねえ)さんも、そして君達(きみたち)も。そのことを(かんが)えるととても(かな)しいね。でもこれはしかたのないことなんだよ。みんなそうなんだもの。君達(きみたち)自分(じぶん)のご(せん)()(さま)をどこまで()っているかな?おじいちゃんおばあちゃんは?その(また)おじいちゃんおばあちゃんは?その(また)(うえ)のおじいちゃんおばあちゃんは?これはもう何千年(なんぜんねん)(まえ)からずーっとつながっているんだね。そのうちの一人(ひとり)()けただけでも(いま)(きみ)はいなかったんだよ。ありがたいことだね。ご先祖(せんぞ)(さま)一番(いちばん)(よろこ)ぶことは(なに)()っているかな?子孫(しそん)である君達(きみたち)が、家族(かぞく)(なか)()(しあわ)せに()らすことなんだね。みんな(なか)()(しあわ)せに()らそうね」と。
 
〔 親御さんへ 〕
この章は、意訳するのに随分てこずりました。最近は、病院で亡くなられる方が80%近くいる そうですから、身内の死目に遭えるお子さんは殆どいないと云っていいでしょう。核家族に なってから、親族の臨終を身近で看取る機会がなくなりましたから、人は死なないのが当たり前で、死ぬのは例外中の例外とでも思っているのではないでしょうか?今のお子さん達は。

私の子供の頃は、年寄りは皆家で亡くなりましたから、人の死というのはいつも身近にあったんですね。いいのか悪いのか何とも云えませんが、子供心に覚えているのは、臨終が近く なると顔色が土色になって、息を引き取ると黄色くなって体が固まる。こうなると、もう人間ではなくて物扱いになるんですね。

しばらくすると葬儀屋が棺桶(昔はみな座棺でした)を持って来て、固まった遺体の関節を ボキボキ鳴らしながら、死体を折りたたむようにして納棺する。後は焼場で焼かれて灰になる訳ですが、死ぬってのは怖いもんだなあと、つくづく思ったものです。

私事で恐縮ですが、私は棺桶に20回程入れられた経験があるんですよ(勿論寝棺ですが)。と、申しましても、20回死んで20回生き返った訳ではありません。以前、県の葬祭業協同 組合の顧問をしておりました時に、若手を集めて湯灌と納棺の研修をやろうということになり 私が生仏(なまぼとけ)(葬儀屋さんは遺体のことをこう呼ぶ)の代役をやらされた訳です。

体を堅くしてくれ!とか、笑うな!とかと注文をつけられて、エライ目に遇いました。アルコール綿で体を拭かれるのは、とてもくすぐったいんですよ。(上半身は裸、下半身は海水パンツでしたから)今の湯灌は、生仏を本物の風呂(移動式の簡易浴槽)に入れて、石鹸で頭も 体もゴシゴシ洗うそうですから、20回も出し入れされたら体が持ちませんね。それにしても、棺桶に入れられて蓋を閉められるというのは、気持ちのいいものではありませんでした。 あれは生きた人間が入るものではありませんね。(当たり前の事かも知れませんが)
 
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