〔原文〕
子日、惡紫之奪朱也。悪鄭聲之亂雅樂也。惡利口之覆邦家者。
〔読み下し〕
子日わく、紫の朱を奪うを悪む。鄭声の雅楽を乱るを悪む。利口の邦家を覆すを悪む。
〔通釈〕
孔子云う、「朱が正色なのに、今では間色の紫が朱に代って用いられることがあるが、これは宜しくないな。鄭の淫らな音楽が儀式の雅楽の代りに奏されることがあるが、これも宜しくないな。口達者な奴らが重臣に取り入って国家の顛覆を企てているが、これが一番心配だ!」と。
〔解説〕
これは一体孔子何才の頃の話しでしょうか? 本章と似たような文章が衛霊公第十五399章章にあって、ここでは顔淵の質問に対して答えておりますから、恐らく同じ頃に語ったものでしょう。また、子罕第九223章で、「吾衛より魯にかえりて然る後に楽正しく雅頌(がしょう)各々其の所を得たり」と述べておりまして、孔子が亡命先の衛から魯に帰国するのは68才の時、それから雅楽が正されたことになる。
孔子が直接魯国の政治に携わるのは51才ですが、公式行事に参加して直に内部の様子を知ることができたのもこの時から。そうこう考えると、本章は、孔子が定公に用いられ中都の長官に成りたての51〜2才の頃の話しではないでしょうか。尚、当時正色とされたのは朱(赤)・青・黄・白・黒の五色。日本では古来紫が高貴な色とされていますが、中国では五色が正統とされておりました。
〔子供論語 意訳〕
孔子様がおっしゃった、「公式な場では朱色がシンボルカラーなのだが、最近は紫色が多く用いられている。何かチグハグな感じがする。国の行事では伝統音楽が演奏されることになっているのだが、最近は今はやりのヒットソングが演奏されている。これも何かチグハグだな。国民のために働くのが役人の仕事なのだが、最近は自分達のために働いている。これが一番チグハグだ!」と。
〔親御さんへ〕
「チグハグ」とは、不揃い・不調和・不具合でうまく噛み合わない様子を云いますが、分かり易く云えば「不自然でしっくりしない」ってことですね。どうして私達は不自然なものごとに対して本能的に違和感を覚えるのでしょうか?環境や習慣の違いで違和感を覚えることはあるけれど、慣れてしまえば違和感はなくなる。だけど、何十年一緒に居たとしても、最後のギリギリの所でどうしても馴染めないと云うか、しっくりしない所がある、親子・兄弟・夫婦と雖も。「そんなもんだよ!」と云ってしまえばそれまでかも知れませんが、何でだろうか?と考えて見ますと、真・善・美の感じ取り方には、人類共通のものと、民族に共通のものと、個としての魂遍歴の違いによる独特の感じ方や捉え方があるようで、やっぱり「そんなもんだよ!」と云う他はないのでしょうかねえ。
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