〔原文〕
子日、小子何莫學夫詩。詩可以興、可以観、可以群、可以怨。
邇之事父遠之事君、多識於鳥獸草木之名。
〔読み下し〕
子日わく、小子、何ぞ夫の詩を学ぶこと莫きや。詩は以て興すべく、以て観るべく、以て群すべく、以て怨むべし。邇くしては父に事え、遠くしては君に事え、多く鳥獣草木の名を識る。
〔新論語 通釈〕
孔子云う、「お前達はどうしてあの詩を学ばないのか。詩を学べば、感性が磨かれ、観る眼が養われ、和の心が芽生え、寛容さが培われるようになる。家にあっては親孝行に励み、国にあっては君に忠誠を尽くすようになる。おまけに、鳥や獣や草や木の多くの名前を知ることができ、知識が豊富になる」と。
〔解説〕
現存する詩経305編は、孔子が編纂し直したもので、弟子の子夏に伝え、子夏によって世に広まった(「詩序」)とされていますが、どういう訳か、私は詩経が好きになれません、模範的過ぎて。次章に出て来る「周南」・「召南」を読んでみても、どうもピンと来ないんですね、悲しいかな。まあ、感性が鈍いというか、文学のセンスがないというか?阿久悠が作詞した歌なんかは好きなんですけどねえ。
どうしてだろうか‥‥?と考えてみましたら、高校時代の友人に、いつも詩を書いている青白いヤサ男がおりまして、どういう訳かこいつがモテるんだね! 医者の息子でヴァイオリンなんか弾くんですよ。やっとガールフレンドが出来たと思って喜んでいたら、こいつがチョッカイ出して来て、フラレましたよ私は。(四畳半楽器のギターじゃ勝てないなあ!) どうもこの時に詩嫌いのトラウマが形成されたようなんです、詩→ヤサ男→モテる→ガールフレンド→取られた→絶望→詩は嫌い! という。
単細胞だね俺も! 45年も前のトラウマを未だに引きずっているんだから。本章を読んで甦りましたよ、45年前の苦い記憶が。フラレた時の気持ちって、嫌なもんだよね‥‥、何だか急に余所余所しくなるんだもの。ずーっとフラレっ放しの佐々木君の気持ち、よく分かりますよ。でも絶望してはいけない!世の中変わった趣味の人もいるから。死ぬ迄には何とかなる!!今世がダメなら来世に賭けろ!
ああ、これはホームページに載るのか‥‥、たまにはいいか、与太話も。
〔子供論語 意訳〕
孔子様がおっしゃった、「君達は詩が好きかね?詩は感じる心が磨かれ、考える心が養われ、思う心が芽生え、分かる心が培われるようになるんだよ。おまけに、鳥や獣や草花や木の名前がたくさん出てくるから、自然環境にもやさしくなる」と。
〔親御さんへ〕
当時の詩は詠唱というか、節をつけて朗々と歌われていたようです。中世ヨーロッパの「吟遊詩人」も詠唱が主流でしたから、詩は元々歌われるもののようですね。耳元で囁くような詩や朗読(語り)が主流になったのはいつ頃からでしょうか?マイクとスピーカーの性能が良くなったごく最近でしょう。
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