〔原文〕
陽貨欲見孔子。孔子不見。帰孔子豚。孔子時其亡也、而往拝之。遇諸塗。
謂孔子日、来、予與爾言。日懐其宝而迷其邦、可謂仁乎。日不可。好従事而亟失時、可謂知矣。日不可。日月逝矣、歳不我與。孔子日、諾。吾将仕矣。
〔読み下し〕
陽貨、孔子を見んと欲す。孔子見えず。孔子に豚を帰る。孔子其の亡きを時として往きて之を拝す。諸に塗に遇う。孔子に謂いて曰わく、来たれ、予爾に言わん。曰わく、其の宝を懐きて其の邦を迷わす、仁と謂うべきか。日わく、不可なり。事に従うを好みて亟時を失う、知と謂うべか。日わく不可なり。日月逝く、歳我と与にせず。孔子日わく、諾。吾将に仕えんとす。
〔新論語 通釈〕
魯の大夫の陽貨が孔子に面会を求めたが、孔子は会いに行かなかった。そこで陽貨は孔子に蒸し豚を贈った(大夫から贈り物を賜った際は、返礼の為訪問するのが慣わしであったからである)。
孔子は陽貨に会いたくなかったので、わざとその留守を狙って返礼に行ったが、運悪く帰り道で陽貨に出くわしてしまった。陽貨は、「丁度良かった、君に話しがあるのでちょっと来なさい」と孔子を家に連れて行って言うには、「高い理想と大きな志を抱いており、尚且つそれを行なうに足る才能を持ち合わせておりながら、混迷する世情を横目で見るだけで世に出て仕えようとしない。あたかも宝を持ち腐れにしているようなことが果たして仁と言えるだろうか?」と問うた。
孔子は、「仁とは言えませんね」と答えた。更に陽貨は、「政治に従事することを望んでおりながら、度々チャンスを失っているのは、果たして知と言えるだろうか?」と問うた。孔子は、「知とは言えませんね」と答えた。陽貨は、「時はあっという間に過ぎ行き歳月は人を待たないというが、どうだ、仕えてみる気はないか?」と云った。孔子は、「はい、仕官する気はあります」と答えた。
〔解説〕
陽貨は季氏の家宰(かさい)の陽虎のことではないか?とする説もあるが、はっきりしない面会を断ったり留守を狙って訪問したりと、孔子は普段から陽貨を快く思っていなかったのでしょう。この時の話しが「孟子」滕文公章句(とうぶんこうしょうく)に載っております。『陽貨、孔子を見んと欲して、礼無しとせらるるを悪(にく)む。大夫、士に賜うこと有るに、其の家に受くることを得ざれば、則ち往きて其の門に拝す。陽貨、孔子の亡きを窺い、孔子に蒸豚(じょうとん)を饋(おく)る。孔子も亦其の亡きを窺い、往きて之を拝せり』「魯の大夫の陽貨が孔子を呼び寄せて面会したいと思ったが、賢者を呼びつけたのでは世間から礼を欠くとされるのを嫌い、一計を案じた。則ち、大夫が士に贈り物をした場合、士が不在で直接受け取ることができなかった時は、士自ら大夫の家に赴き礼を述べるのが礼儀である。そこで陽貨はわざと孔子の留守を狙って蒸し豚を贈った。すると孔子も亦陽貨の一計を見抜いて、わざと陽貨の留守を狙って礼を述べに行ったのである」と。
何だか面白い駆け引きですが、陽貨が「孔子は必ず自分の留守を狙って返礼に来る」と読んでわざと家を空け、帰り道で待ち伏せしていたとすると、これはどうも陽貨の読み勝ちのようですね。それにしても孔子は余程陽貨と顔を合わせたくなかったようですが、陽貨とはやはり陽虎のことなのかも知れません。孔子17歳の頃、季氏の宴に出席しようとして張り切って行った所、陽虎に「お前の来る所ではない!」と冷たく追い返されて、嫌な思いをさせられておりますからね。
〈子供論語 意訳〉
魯国の大臣で陽貨という人が、孔子様を家来にしたいと思って家に招待したが、孔子様は家来になりたくなかったので都合が悪いといって断った。そこで陽貨は、高価な豚の丸焼きをプレゼントすることにした。こうすれば孔子様は必ずお礼をいいに来ると思ったからである。予想通り孔子様はお礼をいいに陽貨を訪問したがあいにく留守だったため引き帰したが、帰り道でバッタリ陽貨に出くわした。陽貨は「丁度良い。君に話しがあるので家にいらっしゃい」といって案内した。陽貨は「君は政治家の才能があるにもかかわらず、何もしようとしない。苦しんでいる国民を横目で見ながら吾関せずというのは、思いやりに欠けるのではないかね?宝(才能)の持ち腐れじゃないのかね?」と聞いた。孔子様は、「確かに思いやりのあることとは云えません」と答えた。更に陽貨は「本当は政治家になりたいのに、いつもチャンスを逃している。これは頭の良い人のすることかね?」と聞いた。孔子様は、「これも確かに頭の良い人のすることではありませんね」と答えた。そこで陽貨は「時間はあっという間に通り過ぎて行って、自分の思い通りになるものではない。チャンスの女神に後ろ髪はないというが、どうだ?この際思い切って私の家来になってみないか?」と切り出した。孔子様は、「はい、考えておきます」と答えた。
〔親御さんへ〕
解説でも触れましたが、陽貨が陽虎のことであるとすると、孔子がこの人の家来になりたくなかったのも頷けます。孔子17歳の頃、季氏が、まだ仕官していない武士(士)の子弟を招いて、有能な人材を得ようと宴を開いたことがある。
孔子の父は足軽身分とは云え武士階級でありましたから、孔子は自分にもその資格があると期待に胸を弾ませ、腹違いの兄孟皮から装束と剣を借りて正装して出掛けて行った。この時受付をやっていたのが季氏の側近の陽虎で、孔子を見るなり「お前など予定に入っていない!」と門前払いしてしまう。
大勢の前で恥をかかされ、孔子は口惜しく悲しい思いをしたに違いありません。こういう経験があったればこそ、後に「それ恕か!己の欲せざる所は人に施すこと勿れ!!」(人に不親切なことはするなよ!不人情なことはするなよ!デリカシーのないことはするなよ!!)なる言葉が自然に口をついて出たのでしょうね。
思えば、孔子も釈迦もイエスも、極限迄デリカシーを発達させた人でした。だから、人の気持ちが手に取るように分かったのですね。人の気持ちが手に取るように分かることを仏教用語で「如心(にょしん)」と云いますが、これが恕(じょ)の本当の意味です。如+心=恕ですから。分かり易く云えば、恕とはデリカシーのことです。
デリカシーがあるから人の気持ちが分かる、人の気持ちが分かるから細やかな心配りができるんでしょう?真に人を思いやることができるんでしょう?細やかな心配りは女の専売特許などと思ったら大間違いです。恕・デリカシーには男も女もありません。
当会には、今世ログ500の壁をぶち破って菩薩の境地を得る為に生まれて来た人がゴロゴロいる。中にはログ499迄来ているのに、あと一歩の所で堂々巡りをしている人も何人かいる。惜しいねえ!
仁の第四段階「寛恕」だの、「四摂事(ししょうじ)の実践」だのと面倒なことは云わん!デリカシーを徹底的に鍛えなさい!極限迄発達させてみなさい!!人のことが放っておけなくなるから。
いいですか!当会には、自分や家族の為にだけ生きればそれで良し!という人など一人もいないんです!そのレベルはとっくに卒業した人達が集っているんです!!人は、自分以外のものの為に生き始めた時から、その人の本当の人生が始まるんです、本領が発揮されるんですよ!!
坂本竜馬も西郷隆盛も、自分以外のものの為に生き切った、命を懸けて。二人とも猛烈にデリカシーの発達した人でした。最近では、マザーテレサがそうでした。デリカシーとは自分以外のものの為に発揮されるものなんです。自分の為に発揮するのはデリカシーとは申しません、女々しいというんです!
「いぼる」という日本語があるでしょう?
灸の痕がただれていつまでもジクジクするように、一つのことに囚われていつまでもイジイジする様を称して。
子供の頃いぼっていると、「いつ迄いぼってるんだ!」と引っぱたかれたでしょう!?諸君よ!どうかデリカシーのある人間になりなさい!!だが、いぼる人間だけはやめなさい!!
みっともないからね。親は子に「いぼるな!女々しいことはするな!」と教えなさい!
秋葉原の無差別殺傷犯・加藤智大は、いぼりが高じてやらかしたんでしょう?いぼりが動機の「いぼり犯罪」でしょう!?病的な自己憐憫だよ、これは。
|